坂本多美子(伊藤歩)は夫・英明(青柳翔)と、病死した先妻の子である娘・琴世と共に隠岐諸島で暮らしていた。しかし、琴世はまだ多美子のことを「お母さん」とは呼んでくれない。そんなとき、20年に1度の隠岐諸島一番の古典大相撲が開かれることに。英明は一生に一度しかチャンスが訪れない最高位の正三役大関に選ばれた。夜を徹して行われたいよいよ結びの大一番。地区の名誉を賭け、土俵に上がる英明。家族が見守る中、息詰まる世紀の大熱戦の火蓋が切って落とされた。 渾身の思いでぶつかる英明。果たして20年に一度の大一番の勝敗はいかに…。
『渾身 KON-SHIN』作品情報 | cinemacafe.net
MOVIX宇都宮で観てきました。
隠岐の島で20年に一度行われる古典大相撲が開かれた一日を描いた作品でしたが、大一番にかける意気込みや緊張感をわがことのように感じられるたいへんすばらしい作品でした。地区の名誉を一身に背負い、正三大関と呼ばれる複数の地区を代表する大関としてトリの一番で戦うその瞬間に向けてじょじょに高まる高揚感は、映画に限らずここ数年味わったことがないほどのものでした。
地区の多くの人たちからの期待と応援を背に土俵に立ち、「その場に立てる幸せ」と「負けられないという重責」をかみしめながら渾身の力をふりしぼって相手へとぶつかろうと踏み込むその一瞬。この映画のすべてのシーンはこの一瞬のためのピースだったと言っても過言ではないくらい、丁寧にひとつひとつのストーリーや演出が積み重ねられていたことにただただ感動をおぼえました。
正三大関に対する周囲の期待の大きさは観客からの応援の声だけでなく投げ込まれる塩によっても可視化されていたのがまたユニークで、ぜひ本物のその瞬間をこの目で見てみたいと願わずにはいられませんでした。どれだけの言葉を尽くしてもこの興奮を伝える自信はないくらいにグッとくる作品でした。
ただ、じゃあ文句ひとつでない作品なのかというとけっしてそうではなく、率直に言えば不満というか「これはよくわからないな」と共感できない部分もたくさんありました。
原作は読んでいないせいかも知れませんが、家族の問題や英明の過去の問題は別になくてもよかったんじゃないかとも思います。でも、それでもこの作品を観て体験したこと興奮は、そういった気に入らない部分も含めて受け止めさせるに値するほど価値があるものだったと感じています。
あとひとつだけ残念だったのが、この隠岐の島の古典相撲に関する情報が映画の中だけだと足りなく感じてしまった点です。
20年に1度の大イベントであることや地域の人たちにとってこれがどれほど大きな行事であるのかは作品の中で十分に語られていますが、一方でその詳細についてはあまり触れられていません。
映画がとてもおもしろかったというのもありますが、わたしは隠岐の島で行われる相撲についてもっと詳しく知りたくなったので帰ってきてからすぐに検索してみたところ、隠岐の島町サイトで"隠岐古典相撲について"というPDFファイルが公開されているのを見つけました(リンク)。
内容の一部は作品で紹介されていることと被っていますが、相撲の由来や番付の内容などおおよそわたしが知りたいと思っていたことがきちんと書かれていてとても参考になりました。この作品を観る前にこのPDFを一読していれば、「帰ってきた直後のあの状況でなぜ英明は相撲を取り始めたのか?」とか「正三大関に選ばれるプロセスの意味や選ばれたときの本人や周囲の喜びよう」がもっと理解できただろうなとちょっと残念でなりませんでした。
これからこの映画をご覧になる方は、ぜひこのPDFに一度目を通してから映画を観ることをおすすめします。
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