奨学金の思い出と思うところをつらつらと書いてみる


先週、studygiftの件でネットが大いに盛り上がっていましたが、そのことをきっかけに自分が奨学金をもらっていたときのこととかいろいろ思い出して懐かしんでいました。するとそんなわたしの気持ちが通じたかのように、ある日帰宅すると学生時代に借りていた奨学金の返還状況の通知が届いていました。


なんという偶然...。


どれだけ払ったのかと見てみると、大学修了時には200万円あった奨学金も残すところ60万円くらいまで減っていていよいよあと数年で完済というところまで減っていてうれしいような寂しいような奇妙な気持ちになりました。


その通知を眺めていたら、急に奨学金について思い出したことを書き残しておきたくなったのでざっくりと書いてみます。

# 最初に触れておいて何ですがstudygiftは炎上物件なのでここではノータッチで

学生時代のこと

私は学部に4年、院に2年在籍していましたが、そのうちの学部4年間はノー奨学金でフィニッシュし、院の2年間はたんまりと奨学金を借りて過ごしました。
# ちなみに高校以前は奨学金制度を利用したことはありません。


まず学部生の頃のお話ですが、上で書いたとおりこの4年間は奨学金を借りていませんでした。

ではその頃は奨学金を借りたいという意思が無かったのかというとそういうわけではなく、入学当初に一度申請したことがあったのですが「高校の時の成績がよくなかった」ことと「親の収入がそこそこだった(高かったわけではないです)」ために対象外となってしまいました。慣れない新生活の合間をぬって、頑張ってそろえた資料が無駄になったと知ったときはなかなか悲しかったです。


ただ成績が悪かったのは自分のせいなのでしょうがないですよね...。


ちなみに、余談ですがこの奨学金の申請をしたときに初めて父の源泉徴収をみました。
ずっと気になっていたので「へー、このくらいもらってるんだ」と感慨深く1時間くらい眺めたことをおぼえています。さかのぼれば高校生になったときくらいから親の収入については興味があったのですが、家庭の空気的に家の懐事情を子どもに明かすことを良しとしていなかったので、おおよそいくらくらいという相場を含め、教えてもらったことがありませんでした。


「思ったよりはもらってんじゃん!」と感心した一方で「でもこれで毎月仕送りしてもらって大丈夫なの?」とも思ったりして、できれば奨学金をもらって仕送りは止めたいなと思ったことはよく覚えています。まあ結局奨学金はダメだったんですけどね。


そんなこんなで学部時代の4年間は奨学金をもらうことなく、親からの仕送りに頼って過ごしました。


2000年3月(学部卒業時点)の奨学金:0円



さて。
その後、学内進学で大学院に進んだのですが、進学の際の試験結果がそんなに悪くなかったこともあり、育英会(いまの日本学生支援機構)の奨学金をもらえることになりました。もらえるというか貸与ですね。月額84,000円を修士課程の2年間に分けて借りました。

この奨学金のおかげで、常々思っていた「仕送り無しで生活したい」と夢が実現できそうな気がしてきたので、4年間もらっていた仕送りを止めてもらいました。たしかにもくろみどおり生活はできましたが、進学したらアルバイトがほとんどできなくなったので生活レベルは学部の頃よりも少し苦しくなりました。


大学では実験系の研究室に在籍していましたが、うちの大学には大掛かりな実験ができる施設はありませんでしたので、修論を書くためには加速器のある仙台や筑波、あとは兵庫の実験施設のお世話にならないといけなかったのです。その実験や準備のために、短いときは一日から数日、長いときは一ヶ月というスパンで山形を離れて過ごさなければならず、不定期に県外に出かけなければならないとなると普通のアルバイトは到底無理だったのです。

そんな状況を憐れんだのか、研究室の先生が学部生向けの講義のアシスタントのアルバイトを紹介してくれたり、あとは学部の頃から続けていた大学付属の図書館が継続してアルバイトをさせてくれたおかげで何とか糊口をしのいぐことができました。


あとは修士の2年目に入る前あたりからマコ*1と同棲を始めまして、晩ご飯はいつも彼女に作ってもらうようになりました。

毎日晩ご飯を作ってもらえたのはとても助かりましたし、身もふたもない話をすると一緒に住むことで食費をフォローしてもらえたのはとても助かりました。


なんて話をすると「毎日ご飯を作ってもらってたなんてこの甘えん坊将軍め!」とか「お前はヒモか!」と言われそうですし、実際に当時の知人から直接そんなことをいわれたこともあるんですが、でも当時は貧乏学生だった、別にお金の面倒をもらっていたわけではないし*2、さらにいまはもう結婚したんだから結果オーライでいいんじゃね?と思ってます。


と、こんな感じで、奨学金とマコのサポートを受けたおかげで無事2年間で修士を取ることが出来たのでした。

あと生活が苦しかったと言いつつ、お金ためてドリームキャストは買いましたけどね!(プチ情報)

2002年3月(大学院卒業時点)の奨学金:2,016,000円


働き出してからのこと

働き出した年の10月くらいから奨学金の返済を始めました。毎月の返済額は12,000円。

このような少額返済にした理由は2つありまして、ひとつは仕事を続けて行けるのかどうか自信がなかったことで、もうひとつは実際にどの程度の収入を得られるのか不安があったということです。つまり自分の支払い能力が疑わしいと思っていたための判断でしたが、少額であるおかげで極度な負担をおぼえることなく返済を続けられているという現状を鑑みると、その判断は間違っていなかったなと自画自賛しています。


2012年5月時点の奨学金:636,000円

貸与か贈与か

奨学金については人それぞれ「こうあるべき」と期待する姿というのがあるようで、長く議論のネタとなっています。

中で「貸与」か「贈与」かという話であり、奨学金は「貸与でいいのか」それとも「贈与にすべきか」というのはもっとも目にする議論だと思います。


私は基本的には貸与でも贈与でもどちらでもいいと思っていますが、私自身の立場で考えると貸与という選択肢があってよかったなと思っています。


そう判断する理由は二つ。

ひとつめの理由は奨学金が貸与ではなく贈与だった場合、恩恵にあずかれるのはとてもとても優秀な一握りの人に限定されてしまうだろうと思うからです。つまりそうなってしまった場合にはおそらくわたしのような凡庸な人間は奨学金という制度を利用できなかったと思うからです。


そしてふたつめの理由は、私は無償で得たものは大事に出来ない人間からです。

もう少し分かりやすく言い換えれば「自分がいずれ返すお金で大学院に通っているということが、大学院での生活を前向きにしてくれた」と感じているからです。身銭を切るのは大事と言い換えればよいでしょうか。

私みたいなアバウト野郎だと、もし貸与ではなく贈与だった場合には修了までモチベーションが保てなかったかも知れないなーなんて思っています。

奨学金について思うこと

昨今、奨学金を返還しない/できない人が増えてきたために運用が回らなくなってしまうという状況になってきているということをよくニュースで耳にします。たしかに新卒の就労環境があまりよくない現状を鑑みると、卒業してすぐに毎月数万円を返済しなければならないのはなかなか厳しいことかも知れないなと思いますし、いまこうやって私が順調に返済できているのは単に運が良かっただけだと思うのです。


こういう状況だからこそしっかりと返済を続けたいと思うし、これからも奨学金という制度を少しでも長く続けられるようにわずかではありますが借りた分だけはしっかりと返済してその継続に貢献したいなと思っています。


あと変な言い方になってしまいますが、いまこうやって返済しているのって昔の自分にお小遣いを上げているみたいですごくうれしいっていう気持ちもあるんですよ。ほんとおかしないい方なんですけどね...(笑)


(関連してないけどstudygift炎上のわかりやすいまとめへのリンク)

*1:

*2:でもワンダースワンのFF2を買ってもらったりはしてました