“小さなヴェネチア”と呼ばれる、ラグーナ(潟)に浮かぶ美しい漁師町キオッジャ。中世さながらの建物が並び、石橋、石畳、様々な漁船が行き交う運河、漁具を担ぐ男たちの姿など、素朴な雰囲気をもった漁港の町である。そこに佇む小さな酒場“オステリア”には毎晩のように地元の男たちが集まり、町で生きる人々の心の拠りどころになっていた。そんなオステリアで出会った、シュン・リーとべーピ。異国の地からやってきた二人はお互いの孤独を美しい詩を通して分かち合い、次第にかけがいのない大切な存在となっていく。しかし、二人の交流は小さな町にさざ波を立て、シュン・リーは自身の未来のためにある決断をするのであった―。
『ある海辺の詩人-小さなヴェニスで-』作品情報 | cinemacafe.net
宇都宮ヒカリ座で観てきました。
借金返済のために小さな街の酒場で働くことになった女性シュン・リーが、慣れない土地で言葉もよく分からないまま初めての客商売をするというハードモードを少しずつ攻略していく様子が見ていてとても心温まるよい作品でした。潮の香りが鼻をくすぐりそうなくらい海辺の町らしさを伝えてくれる映像はとてもよかったし、町の風情や田舎町の閉鎖性が生み出す功罪や与える弊害もきっちりと描いていたのもとても印象に残りました。
「寂しいという感情は個人のものだから共有できない」
以前、なにかの本を読んだときにこんなことが書かれていてなるほどなと思ったことがあります。
「うれしい」という感情も「悲しい」という感情も共有できるし、することで増幅したり和らいだりもします。
でも寂しいという感情、つまり孤独を抱えていることで生まれる隙間というのは誰とも共有できないし、あくまでその人だけで抱えて行かなければならないのです。だから寂しい人同士がただ肩を寄せ合ったところで寂しさは埋めきることができるものではないし、むしろどうにもならないことを再確認してよけいにつらく感じるだけなのです。
それでも、ずっと一人で寂しさを抱えて生きていくよりはたとえ一時的であっても寂しい者同士がその隙間を埋めるためにいっしょにいることは必要なことなんだろうなとこの作品を観ながら思ったんですよね。どうにもならなくても、でも近い境遇にある者同士が傷をなめあうように身を寄せることで少しでも生きていくことが楽になる瞬間があるのであればそうすべきだと。
寂しさを忘れて楽しい時間を過ごす様子は本当に幸せそうだったのでそんなふうに思ったのでした。
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