「ダーリンは外国人」見たよ


漫画家を夢見るイラストレーター・さおり(井上真央)と、“漢字”の美しさに一目惚れして来日したアメリカ人・トニー(ジョナサン・シェア)。ひょんなことから出会い、付き合うようになった2人。しかし“外国人なダーリン”トニーの言動は、さおりにとって「?」や「!」だらけ。そしてある出来事をきっかけに、ふたりの心がすれ違い始めて…。小栗左多里の大人気コミックエッセイ「ダーリンは外国人」の映画化作品。

『ダーリンは外国人』作品情報 | cinemacafe.net

(注意) 感想の中で映画の内容について思いっきり触れていますのでネタバレが嫌な方はご注意ください。


TOHOシネマズ宇都宮にて。


原作未読で、さらに公開前に観た予告からはかなり不穏な空気がただよっていたために回避していたのですが、先日ミュージックステーションで耳にしたaikoの「向かいあわせ」という曲が主題歌だということで突然興味がわいてきたの観に行ってきました。
冒頭からの20分は筆舌に尽くしがたいほどつまらなくて正直帰りたくて出口の方ばかり見ていたほどですが、物語が進むにしたがって結婚というよりも他人と一緒にいることのむずかしさがとてもうまく伝わる内容になっていってとても惹きつけられました。そしてエンドロールでは待望の向かいあわせを聞けたので大満足して帰ってきました。aikoよかった!



本作のすばらしいところは、他人といることがなぜむずかしいのかということをとてもうまく表現している点にあります。
例えばわたしは日本人としか付き合ったことがありませんし、それは世の多くの人はそうだと思うのですが*1、我々は同じ日本人同士だというだけで相手との間に多くの前提を共有できているつもりでいるように思います。
ところが、実際には日本人同士であっても育った家庭環境や地域によって言葉も考え方も嗜好もまったく違うし、それこそ人によってはまったく相容れない価値観をもっているわけです。同じ日本人と言っても理解出来ない人もいるし、とても受け入れられない考えの人だっているはずなのです。ところが、たとえ相手が違う考えをしているのかも知れない...と感じていてもでも相手が日本人だというだけでどこか分かり合えるはずとか、理解できるはずという甘い気持ちがあるんじゃないかなと思うわけで。それは言葉でコミュニケーションができてしまうせいなんだろうなーと思うのですが、でもこういう理解しあえるかも知れないという思い込みがパートナーとうまくいかなくなる一番大きな原因なんじゃないかなと常日頃から思っていたのです。


この作品は外国人と付き合うことの大変さがメイントピックではあるのですが、それと同時に結局同じ日本人同士でも大変だよということがすごくいいタイミングで提示されます。もちろん程度の差はあるものの、日本人同士だからうまくいって外国人とはうまくいかないという簡単なことではなく、相手が自分とはまったく違う環境で育ってきた他人であるという受容が必要だということを本作は述べているのです。
当然違いを理解したり受け止めたからといって一生うまくいくとは言えませんが、他者と一緒に過ごすためにはとても大事なことだとわたしは思います。前半の何を言いたいのかさっぱり理解出来ないつまらなさとは対照的に、さおりのお父さんが亡くなって以降の展開はもう目が離せないほどでして、本当にすばらしかったです。


ただ、作品の中でちょいちょい出てきた外国人と日本人のカップルのたわごとは本当にうっとうしかった。あれ全然おもしろくないし、物語のテンポは悪くなるし、何であんなの入れちゃったのか不思議でなりません。わたしは外国人と付き合って結婚に至った漫画家の話を映画が観たくて足を運んでるのであって、外国人と付き合っている人の実態とか事例すべてに興味があるわけじゃないんですよね。
外国人と付き合ってる一般人がどうだとか全然興味がないし、むしろ何でこんなの見せられるんだと憤りを感じました。我ながら心が狭いなあと思うのですが、でもドキュメンタリーでもないのにそういう一般人へのインタビューみたいなどうでもいいシーン入れるのってどう考えても納得出来ないんですよね。
これに該当する一連のシーンをカットするだけで3割増くらいでいい作品になるので、ぜひカットして欲しいです。


公式サイトはこちら

*1:だからこそ外国人と付き合うことがとてもトピックとして成り立つのですが