アップル、グーグル、マイクロソフト クラウド、携帯端末戦争のゆくえ (光文社新書)
- 作者: 岡嶋裕史
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2010/03/18
- メディア: 新書
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課金を制する企業がインターネットを制す。クラウドと、クラウドの「窓」の役割を持つ携帯端末。その戦場でも日本は“敗戦”を迎えるのか―。
http://www.amazon.co.jp/dp/4334035531
「Web2.0」や「ユビキタス」など、IT業界ではいまいち実態がはっきりしないものにそれっぽくてかっこいい名前をつけて流行らせる風潮があるのですが、これがわたしはとても嫌いです。「Web2.0」なんて、もう消えてしまったために今となってはあれはなんだったのか知ることさえ出来ないのですが、実は流行った当時でさえ誰も具体的に意味するところなんて知らなかったんじゃないかと思っています。
こういう実態の追いつかない流行語を一般的にバズワードと呼びますが*1、最近もっともいきのいいバズワードは「クラウド」、もしくは「クラウド・コンピューティング」です。この半年くらい、この言葉を聞かなかった日はないのではないかというくらい、世の中に氾濫している言葉でありながら、実態は?というとずいぶん曖昧で人によって解釈が異なっています。
そんな、人によって解釈が異なる「クラウド」とは一体何なのか?ということをせっせと調べていたら、この本がとてもおもしろいという話を教えてもらったので手にとって見ました。
本書の冒頭で「クラウド」とは一体何なのかという定義部分があるのですが、ここでは他の資料などにあるように、いわゆるSaaS + PaaS + IaaS がクラウドのようなものだと述べています。使いたいときにすぐ使えるようになって、使った分だけ料金が請求される、そしてその利用にはクライアントには何もインストールしなくていいというものです。
この説明自体はあちこちで聞き飽きたセンテンスでしたので、「この本もこんなもんか...」とがっかりしそうになったのですが、それではなぜオンプレミスではなくクラウドなのか?という議論にうつると突然本書はおもしろくなってくるのです。
著者は現在のように、ユーザーがすべて所有するオンプレミス型の利用からクラウド型へ移行するのはごく自然のことであると述べています。その説明がとても分かりやすかったのでちょっと長めに引用します。
それでは、クラウドというのは新しいのだろうか。インターネットが登場したときほどのインパクトを我々にもたらすのだろうか。
実は利用者の視点で考えれば、クラウドが実現しようとしていることは決して新しくはないと思う。自前で作っていた何かが仮想化されて、成果物だけを購入できるようになるのはごく普通のことだからである。たとえば、食べ物である。食べ物の生産の初期においては、自給自足で畑を作り、家畜を飼い、井戸を掘っていた。これは決して楽な作業ではない。
畑を耕すのも、家畜の世話をするのも、井戸から水をくむのも、すべて自分の仕事であり、自分の責任で行わなければならない。こうした作業が恒常的に発生するわけである。
また、不作で収穫ができなかったり、家畜が逃げてしまったり、井戸がかれたりしたら、即飢え死につながる可能性もある。シンプルだが、コストとリスクの大きい方法なのである。したがって、時代が進むと、自給自足は一般的には行われなくなる。何を作るときでもそうだが、規模の経済の威力は大きいので、大規模な食料生産設備を持つ事業者が現れ、自給自足に比べると低価格で、良質な食べ物を供給するようになる。我々はそれを商品として購入するのである。
電気にしてもそうだ。以前は電気を使いたければ、自分で電気を作らなければならなかった。発電機を買い込み、燃料を焚いて電力を得る。その電力を自ら消費する。
発電機は高価な機材である。メンテナンスも大変だし、技術の進歩も速い。せっかく買った発電機がすぐに時代遅れのものになってしまうケースはざらだし、電力を使っていないと時間は放置しておくのももったいない話である。
そこで、発電所という発想が出てくる。電力はたくさんまとめて作った方が効率的だし、顧客が大勢いればいろいろな時間帯に電力が消費されるので、発電機を無駄に寝かせておくこともなくなる。
もちろん、供給される電力は形式が厳密に決められており、「うちの会社だけ200ボルト、60ヘルツの電力を供給して欲しい」といったわがままは通らなくなるものの、費用を削減できる効果の方が大きい。
一般利用者は、自給自足するより専門の人に大規模に作ってもらって、その成果物を購入する方が得だというのは、かなり普遍的な現象である。
36〜38ページを抜粋
所有する時代からサービスとして利用する時代への変化というのは、現代ではインフラになっているさまざまなサービスがたどった道であることを指摘しているのを初めて読んだのですが、たしかにそのとおりだと感じます。もちろん、現段階ではコンピューティングリソースやプログラムを水や電気と同じ形態で利用することは出来ないのですが、いずれさまざまな規格や標準化が進むことでコンピューティングリソースやシステムは、今後インフラとなって水や電気のように日常的に利用されるものになる可能性があるという考えを本書を読んで得たのです。
その視点をもってどのクラウドサービスがシェアを伸ばすのかということについて考えてみると、これは単にSaaSやPaaSといったクラウドサービスの主導権争いにとどまらず、新しい社会インフラを誰が担うのかという争いであり、なかなかおもしろいと感じるのです。
クラウドという言葉には実体などないと思っていたのですが、実際にそうではないのかも知れません。
ちょうど、本書を読んだあとに仕事の関係でさまざまなクラウドサービスを調査することになったのですが、クラウドという言葉は日に日に陳腐になる一方で、それとは対照的に技術やサービスレベルはどんどん高度に発達して日常に浸透しつつあります。
「クラウドなんて所詮言葉遊びだろう...」とたかをくくらずにその実態を知ろうとすることの大切さを本書から学びました。