「ハート・ロッカー」見たよ


2004年、イラクバグダッド郊外。アメリカ軍の危険物処理班は、仕掛けられた爆弾の解体、爆破の作業を進めていた。だが、準備が完了し、彼らが退避しようとしたそのとき、突如爆弾が爆発した。罠にかかり殉職した隊員に代わり、また新たな“命知らず”が送り込まれてきた。地獄の炎天下、処理班と姿なき爆弾魔との壮絶な死闘が始まる――。

『ハート・ロッカー』作品情報 | cinemacafe.net

TOHOシネマズ宇都宮にて。
公開して早々「アカデミー賞でいくつもの章を受賞した作品」というレッテルが貼られてしまったために、「本当に面白いの?」と期待し過ぎてしまいハードルが高いままの鑑賞となったのですが、その期待どおりのすばらしい作品でした。


大学生の頃にアルバイト先の知り合いを介して何度か合コンをしたことがあります。
誘ってくるのは毎回別の人だったのですが、なぜか合コンを開く理由が「好きな子がいるんだけど遊びに行こうって誘うのは恥ずかしいからとりあえず飲み会をして仲良くなりたい」と似たようなものばかりだったことはよくおぼえています。
「今度二人でリナワールド*1行こうよ」って誘うよりも、「今度みんなで飲み会しようよ」と誘う方が誘いやすいじゃんと言われたのですが、それを聞いても何だか納得できない不思議な気分になったのです。
改めてこのときのことを思い出すと「木の葉を隠すなら森の中」という言葉がチラチラと頭をよぎるのですが、でも好きな子に自分の好意を隠したところで何の意味があるのかいまだに腑に落ちません。好きならそれとなくでもいいから好意が伝わった方がいいと思うんですけどねえ...。


なんて、いまさら言ってもしょうがないことなのでいいのですが、でもどういった理由や形であっても合コンに誘ってもらえるのは嬉しいことですのでいつも二つ返事で参加していました。普段は話す機会がない他の大学や社会人の人たちとの合コンは楽しかったし、その合コンをきっかけに知り合いが増えるとさらにその繋がりで他の飲み会やイベントに誘ってもらったりしたのです。
残念ながらこの合コンで知り合った人を介して付き合ったりなんてことはありませんでしたが、振り返ってみるとこの当時が人生で一番多くの人と知り合えた時期でして人見知りなわたしらしくない、けれどとても楽しい時期でした。


で、顔を知らない人が多い飲み会を何度かやってみてあることに気づきました。
それは参加人数が多くなると積極的には関わりたくないと感じる人がいる確率がグッと高くなるということです。
例を挙げると、口を開けば自慢しか出てこない人とか、細かいことまでいちいち口を出して場を仕切りたがる人、あとはすぐに異性に触りたがる人なんかが該当するのですが、顔見知りだけで飲むのと違って楽しくない気分にさせる人が少なからず入ってくるんです。
こういう人が周囲に絡み出すと、楽しかった空気も悪くなるし、かといって直接「迷惑だから帰れ」とはいえない立場の人(学校や職場の先輩)だったりすることもあって楽しく飲むだけでも結構難しいんだなーと思うことがあったのです。


で、そういう迷惑な人にはさっさと帰ってもらうために頑張ってたら、いつの間にか周りの人たちに「爆弾処理班」と呼ばれて尊敬されいたという話を書こうと思ってたのですが、予想以上に話が長くなったのでもうここらで打ち切ります。チョー疲れた...。
この思い出話と「ハートロッカー」をつなぐのは「爆弾処理」というキーワードだけですが、多くの人を困らせるものを排除するミッションの困難さと大変さをわたしは合コンから学んだと言うことをここに書き記しておきたかったのです。


映画の話が吹っ飛んでしまいましたが、正義というのは何なのかということや、命をかけなければ生きていけない場所でしか生きられない悲しい性をもつ男性の姿がとても印象的でした。もっといろいろと書きたいことがあったけどもういいです。


公式サイトはこちら

*1:山形市のお隣である上山市にある遊園地。当時は入場料無料だったので超お得でした。