「Dr.パルナサスの鏡」見たよ


2007年、ロンドン。人の心に抱いている想像の世界を具現化してみせる魔法の鏡「イマジナリウム」。それを出し物に劇場仕立ての馬車で巡業をしている旅芸人の一座がいた。科学者でもあり座長でもあるパルナッサス博士(クリストファー・プラマー)、その美しい娘・ヴァレンティナ(リリー・コール)、こびとのパーシー(ヴァーン・トロイヤー)、曲芸師の若者・アントン。摩訶不思議な魔法の鏡はたちまち観客たちを虜にしていく。実は、博士には大きな秘密があった。娘ヴァレンティナが16歳になったとき、悪魔(トム・ウェイツ)に差し出すことと引換えに不死を手に入れていたのだ。もうすぐ期限は迫ってくる。そこへ橋の下に吊されていた謎の青年・トニー(ヒース・レジャー)が一座に加わったことで事態は思いがけない方向へと進んでいく…。

『Dr.パルナサスの鏡』作品情報 | cinemacafe.net

TOHOシネマズ宇都宮にて。


幼い頃。秋田の片田舎にあったわたしの生家の裏には広い広い野原がありました。
わたしの身長よりも高い草木が生い茂る野原はまさに子どもの冒険心を煽りたてていて、わたしは毎日その野原へと足を踏み入れていました。慣れないうちは泥にはまったり木の根っこにつまづいたりしながらも、原っぱという未知の世界を開拓する楽しさに浸ったのです。冒険に憧れていた幼少期の欲求の65%はここで解消したといっても過言ではないくらい、この原っぱにはかなりお世話になりました。


改めて当時を思い返して感じるのは、未開*1の野原を歩いて道を見つけることの楽しさは、小説を読んだり映画を観て物語を追う楽しさとよく似ているということです。いずれも、今まで見えなかったものが少しずつ見えてくる楽しさというものが共通していると思うのです。


本作が他の作品と決定的に違っておもしろいところは、脈略なくつむがれる物語が桁違いに奔放である点に尽きます。
例えば道を歩いていて三叉路に突き当たったとき、次に進む道をどちらにしようかと考えるとおおよそ選択肢は3つに限定されます。右に行くか左に行くか来た道を戻るかそのくらいしか選べる道はないのです。
これは映画や小説のストーリー展開の構成にもいえることであって、物語の進む方向は無限にあるようですが現実的に物語が破綻しないようにとか、おもしろくなるようにとか、さまざまな制限があるために実際に進むことができる方向というのはそれほど多くはありません。
ところがこの作品の見せる展開の奔放さはすばらしく、次の展開がまったく読めません。それはいくつもの可能性が考えられるから読めないというわけではなく、はっきり言えばどこに向かっているのかさえもつかみきれません。けれど、それでも物語は破綻することなく続くしさらにはとてもおもしろいというおまけまでついています。すばらしすぎる。
この展開の自由さ・面白さをどう表現していいのかさっぱり見当がつかないのだけれど、一見道がないように見えた場所に歩を進めたら道が続いていたようなそんな意外性に触れたときの感覚が一番近い気がします。


心の底から観てよかったと思える作品でした。


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*1:あくまで子どもだったわたしにとってですが