「パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々」見たよ


アメリカ探偵作家クラブ賞受賞の実力派ミステリー作家による、現代のアメリカを舞台にギリシャ神話の神々や怪物が大暴れする異色ファンタジーパーシー・ジャクソンとオリンポスの神々」シリーズを『ハリーポッターと賢者の石』のクリス・コロンバス監督によって映画化。

『パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々』作品情報 | cinemacafe.net

TOHOシネマズ宇都宮にて。


平凡な毎日を送っていたらある日突然自分には特別な能力があることが分かって...という、アメリカの映画らしいとてもスタンダードなお話。物語自体はとてもシンプルで分かりやすく、映像もそこそこ見ごたえがあってなかなか楽しい作品でした。
期待以上のものはありませんでしたが、あまり難しいことを考えないで観ていられるし、観ることでよい気分転換にもなるのは非常によかったです。こういう気楽に観られる作品はすごく好きです。


上記のとおり基本的にはすごくおもしろかったのですが、本作を観ていていやらしいなーと感じたのは、その人自身の個性よりも親や出自の方が生き方に大きく影響するという視点でした。何のとりえもなかったパーシーがさまざまな困難を乗り越えて成長して活躍する様は見ていてとても楽しいのですが、でもそれってパーシーが一生懸命努力して得た力ではなくてポセイドンの息子だから持っていた力が発揮されただけなんですよね。
パーシーがそういう境遇にあったということは彼は選ばれた人間だということであり、それはたしかにすごいことだと思うけど、でもとりわけ目立った才能もないわたしからみれば、それってすごくずるいなーって思っちゃうんですよね。


ここ最近の「はじめの一歩」でちょうどそんな展開がくりひろげられているのですが、地道な努力を一瞬で凌駕してしまう才能というのはたしかにあって、何のとりえもないわたしから見たらその才能のすばらしさに感心するよりも何も持っていない悔しさの方が勝ってしまうのです。


ただ面白いだけではなく、こんなふうに巧妙にわたしの劣等感をくすぐるいやらしさも持ち合わせていてよかったです。
ラスト以外は...。


公式サイトはこちら