「檸檬のころ」読んだよ

檸檬のころ (幻冬舎文庫)

檸檬のころ (幻冬舎文庫)

いっそ痛いと思った、その痛みだけは思い出せた。かっこ悪くて、情けなくて、でも忘れられない瞬間がある。田んぼと山に囲まれた、コンビニの一軒もない田舎の県立高校を舞台に綴る、青春の物語。

http://www.amazon.co.jp/dp/4344007476

ふと10年,20年前のことに思いをはせてみると、何かイベントがあったときのことだけではなく、普段のささやかな出来事もおぼえていることに気づきます。
修学旅行や文化祭、入学式や卒業式といった特別な日のことは当然おぼえているのですが、そうではなくて、例えば高校3年の時に物理の授業が始まって10分経っても先生が来ないのでどうしたんだろうと心配していたらその5分後くらいに真っ青な顔をした先生がフラフラとやってきて「ごめん、今日自習で...」とだけ告げてまたフラフラと戻って行ったこととか、学校から帰る電車の中で大好きだった女の子が大嫌いだった一個上の学年の男と手をつないでいるのを見てしまって普段降りる駅の2つ前の駅で降りて歩いて帰ったこととか、とにかくそういった一見どうでもよいことに分類されることが、常時すぐに取り出せる記憶域にインプットされていることに非常におどろいてしまうのです。


われながら、こんなことよりもっと記憶にとどめておくべきことがあるんじゃないかと思うわけですがここでは一旦さておいて、わたしの記憶をさらってみて感じるのは人間は自らの意思でおぼえておきたいことを選べるわけではないのかも知れないということです。
それがなぜなのかということはわかりませんが、絶対に忘れたくない思い出も時間が経てば忘れてしまうように、そして年を取ればとるほどちょっと前のことよりも昔のことの方がよく思い出せるように、記憶にとどめてそれを思い出すという行為は思っていた以上に複雑で危ういものに見えてくるし、考えれば考えるほどとても不可解なことのように感じられるのです。


本作を読んで感じたのは、長く記憶に残る思い出ってこういうことだよねーという共感であり、そしてなぜこのような出来事を思い出として切り取って記憶してしまったのかという疑問でした。そしてその疑問への答えはさっぱり見つからないのですが、それでもこの作品からただよってくる10代の頃を想起させる匂いというのは本物であり、この中に何かしら答えへの手がかりがあるんじゃないかと期待してしまいました。
3年前に公開されたこの作品を原作とした映画もとてもよかったのですが、原作はその上をいくすばらしい作品でした。


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