名前は誰のためのもの?

またもや名づけに関するニュースを見つけました。

「玻(は)」という漢字を名前に付けた娘(生後11か月)の出生届を、名古屋市が「人名用漢字ではない」などとして受理しなかったのは不当だとして、同市東区の両親が受理を求めた裁判で、名古屋高裁は先月、訴えを退けた。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20091101-OYT1T01018.htm

この文字であれば雰囲気でも読めますし、よく話題になるDQNネームとは一線を画しているように思えます。
ただ、名前はすべて人名用漢字にある文字から選ばないといけないのはルールですので、受理/不受理を争うよりはこの文字を人名用漢字に入れてもらえるように働きかける方が正しいアプローチなんじゃないかと思います。
ただ、それが使えるようになるのを待ってたら名づけに間に合わないから訴えてるんでしょうけどね。


ただそれって単なる親の準備不足だよね、というのが最初の感想。
だって、そんなに名前の語源やら何やらに傾ける情熱があるのであれば、その少しでもいいからその漢字が使えるかどうかを調べればよかったのにねえというのが率直な感想です。こんなに名前について調べる熱意があったのであれば申請する前に気付きそうなものなのにねえ...。もったいない。


ただ、この手の名付けの問題で一番思うのは、その名前は一体誰のものなのかという視点が抜けてないかなーということです。
その名前と付き合っていかなければならないのは親ではなく付けられた子ども自身であることは絶対に忘れちゃいけないと思います。
どんなに個性的な名前であっても、どんなにすばらしい意味を持たせた名前であっても、それが当て字ばかりで読めなかったり呼ばれるだけで周囲に笑われるようなはずかしいものであってはならないと思うんですよね。


名前をユニークキーにしたいという気持ちは分からなくはないんですけど、でもそれは違うと思うな。


[参考]