三月は深き紅の淵を

三月は深き紅の淵を (講談社文庫)

三月は深き紅の淵を (講談社文庫)

鮫島巧一は趣味が読書という理由で、会社の会長の別宅に二泊三日の招待を受けた。彼を待ち受けていた好事家たちから聞かされたのは、その屋敷内にあるはずだが、十年以上探しても見つからない稀覯本『三月は深き紅の淵を』の話。たった一人にたった一晩だけ貸すことが許された本をめぐる珠玉のミステリー。

http://www.amazon.co.jp/dp/4062648806

本書は先日読んだ「麦の海に沈む果実」という作品に出てきた幻の本とまったく同じタイトルでして、いわばスピンオフの位置づけにあたる作品です。とは言っても作品の内容的なつながりというのは非常に薄く、4章にわたって描かれている本作のほぼすべては「幻の本を探し求める人々にまつわるお話」が描かれているのです。
そんなわけでこの本単独でも読めなくはないのですが、思い入れがあるのと無いのとでは読む側の心持ちも違ってきますし、唯一4章だけは「麦の海に沈む果実」を読んでおかないといまいち意味が分からない箇所もありますのでやはり「麦の海に沈む果実」を先に読んでからこちらを読む方が賢明です。


さて。
何事もそうですが、世の多くの人たちはなかなかお目にかかれないものに価値を見出す節があります。レア物だ!限定品だ!と騒ぐのは何もマニアやコレクターに限った話ではなく、どんなものでも「これは滅多にお目にかかれない限定品なんですよ」と言われると、何となくそれだけで興味を示してしまう人は決して少なくないと思います。試しに「もうこれは手に入らないです、といわれて余計に欲しくなったものがある人はぜひ手を挙げてください」という質問をしたら多くの人が挙手してしまうのではないでしょうか。


たしかに希少性が物の価値を左右するというのは需要と供給を考えれば至極当然のことですが、じゃあその珍しいものが希少性以外の価値もあわせもつのかどうかと問われると当然それはまた別の話になります。例えばキャビアやフォアグラは珍味として名高くて非常に高価ですが、これがおいしいのかどうかと言われると人によってその評価は分かれます。珍味好きにはおいしいと感じるでしょうが、普段これらを食べなれていない人にとってはもしかしたら高いだけの食べ物に過ぎない可能性も十分に考えられます。
このように希少価値とその物自体が本来もっている価値というのは比例しないこともありますし、むしろ手に入れる前の期待が大きければ大きいほど実際に手にした後にがっかりすることもよくあることなのです。


いいかげん最初は一体何を書きたかったのかさっぱり思い出せなくなってきましたが、とにかく「幻の○○」という言葉が多くの人を惹きつけてやまないという現実と、でも幻のものは幻のままにしておいた方が幸せだよねという結論を正しく理解させてくれる作品でした。
第一章から第三章までの物語も非常におもしろかったですが、それより著者の思考パターンをなぞるような文章が淡々と綴られている第四章が一番好きです。書き手を意識させない文章を強く印象付けてきた恩田さんが、このような書き手を意識させるような文章を書くことにとてもおどろいてしまいました。



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麦の海に沈む果実 (講談社文庫)

麦の海に沈む果実 (講談社文庫)