黄昏の百合の骨


黄昏の百合の骨 (講談社文庫)

黄昏の百合の骨 (講談社文庫)

強烈な百合の匂いに包まれた洋館で祖母が転落死した。奇妙な遺言に導かれてやってきた高校生の理瀬を迎えたのは、優雅に暮らす美貌の叔母二人。因縁に満ちた屋敷で何があったのか。「魔女の家」と呼ばれる由来を探るうち、周囲で毒殺や失踪など不吉な事件が起こる。将来への焦りを感じながら理瀬は―。

http://www.amazon.co.jp/dp/4062756943

先日読んだ「麦の海に沈む果実」の続編であり、この作品もまた理瀬が主人公の物語なのですが、前作とはうって変わってかなりミステリー色が濃い作品でした。前作と同じノリを期待して読むとかなり面食らいますが、これはこれで非常におもしろかったです。
全体がはっきり見えている中で、一部だけがどうしても見えてこないもどかしさ、そしてその見えない部分があるおかげで、その見えない部分についていろいろと想像をめぐらせてしまい、結末はいったいどうなってしまうのだろうとページをめくる手を止めることができませんでした。そしてやっとたどり着いたラストでも二転三転する展開が待っていて、終わった...と安心していたわたしが安堵した瞬間を狙い撃ちされてしまいドキドキさせられてしまいました。
終始落ち着かないままにあっという間に読み終えたというのが率直な感想です。こんなに慌しい展開は恩田さんの著書では珍しいです。



恩田さんは「少女」というものにものすごくこだわっている節があって、彼女の作品にはいつも10代の女の子が出てきます。
もちろん著者が女性ということで自身の体験や経験を活かすことが出来るという部分もあるのでしょうが、たぶんもっとも大きな理由はそうではなくて彼女は「少女」という存在に対して他に比類するものがないほどに神秘的な何かを感じているのだと思うのです。
思うというか、たしかどこかでそんなことを書いてたのを読んだことがある気がします。そしてその気持ちは何となくですが理解出来る気がします。


というのも、女性は男性よりも精神的/肉体的に成長が早いと言われていますが、そのためか女性には成長のバランスがくずれる期間というのが男性よりも長くあるのではないかと感じています。くずれるという表現はあまりうまい表現ではないのですが、つまり精神的な成長が肉体的な成長と釣り合わなくなる時期があり、それがちょうど少女と呼ばれるような年齢に合致しているのではないかと考えています。


では、なぜこのように崩れてしまっただけなのにそれに対して神秘性が感じられるのかと考えてみると、「非対称性のもつ引力」という言葉がしっくりとくるのです。


話が突然変わってしまいますが、以前日清カップヌードルのCMの戸田恵梨香がエロイという話が出た時に話題になったのですが、彼女の目は左がくっきり二重で右が奥二重と非対称であることが指摘されていました。左右が対称的ではないことでバランスが悪いという印象を与えるのかと思いきや、実はこういった目がはっきり非対称な人の方がそうでない人よりも異性からモテるのだという話がされていました。顔は左右対称的な方が整って見えるし、そっちの方がよいと思っていたのですが、たしかに思い返してみると昔クラスで一番モテてた子の目って微妙というか、何となくこんな感じだったような気がします*1


これは一例に過ぎないのですが、つまりは完全な対称性をもつものよりも、非対称な部分をもつものに惹かれる感覚というのは意外に一般的な感覚として人には身についているのではないかと推測出来ます。そしてその非対称さの大きい「少女」という存在には言葉には表しがたい不思議な存在感が生じるとも考えられるのです。


30過ぎの男が少女がどうとか延々と書いていると危険過ぎて通報されそうなのでここらへんで止めておきますが、とにかくそういった少女に対する畏敬の念が著者にはあると思うし、その思いはこの作品にとても織り込まれていると感じました。


シリーズ化を望む人の気持ちもよく分かるし最終的に理瀬がどうなるのかというのはとても気になるところではありますが、この未完の状態というのも悪くないと思うし、個人的にはこれで終わりにしてあとは読者の想像に任せますという方がいい気がしています。

*1:大事なのは顔だけではないのでこれが決め手かと言われるとそうでもないかも知れませんが、顔と言う一番視覚的に問われる部分の特徴なので全くの無関係と言うのはありえないと思います