ダイアリー・オブ・ザ・デッド


ある年の10月、信じられないニュースが世界中を駆け巡った。それは、世界の複数の地域で、突然死者が甦り、人々を襲い始めたという。その悲劇は瞬く間に世界中に広がり、衝撃の映像が次々とWeb上にアップされていく。そんな中、ホラー映画を製作していた学生グループは、撮影中に本物のゾンビに遭遇してしまう。彼らは、ゾンビの猛攻から逃げながらも、この惨劇を後世に伝えるため、ハンディカメラで全てを撮影すべく、この非常な運命に立ち向かっていく――。目の前に迫りくる恐怖を描いた、新感覚の体験型サバイバル・ムービー。

『ダイアリー・オブ・ザ・デッド』作品情報 | cinemacafe.net

秋田フォーラスシネマパレにて。
一般的に「ゾンビ映画」と言われて思い浮かべるのは、ウガーとつぶやきながら駆け寄ってくるたくさんのゾンビたちにビクビクしながら次はいったい誰が餌食になるんだろう...とドキドキ不安をかきたてられるようなものばかりでしたが、そんなわたしのもつ先入観のあさっての方向を突っ走るような新しいゾンビ映画でした。
まったく怖くはなかったのですが、とても面白かったです。


話は突然変わりますが、わたしが中学生の頃。
当時、わたしは同級生に比べると身長に対する体重の比率が少々多めでして、身もフタもない言い方をすれば太っていたのですが、その体格を理由にサッカー部から入部を断られるという悲しい事件がありました。「キーパーは間に合ってるよ」って言われた時は本当に悲しかったな...。
そんなわたしに目をつけたのが柔道部でしてその後3年間柔道部にお世話になりました。最初はさほど乗り気ではなかったのですが、予想以上に個人競技があっていたようで意外に熱心に取り組んでいたことも懐かしい思い出です。


そんなわけで突如として柔道に入れ込んでしまったわたしの様子を見た父が、ある日とつぜん「おれ、明日仕事から帰ってきたらビデオカメラを買うんだ...」という、映画だったら死亡フラグが立ちそうな発言をし始め、翌日なんと家庭用の8ミリビデオを買ってきたのです。
当時わたしのかよっていた中学校のある地区の柔道競技レベルは県内でも最低ランクでしたので、試合の様子をカメラで撮ろうなんていう熱心な人なんていませんでした。さらに、そもそもわたし自身が写真とかビデオに写ることがとにかく嫌だったので、いったいうちの父は何を考えてるんだとひとり憤ったことをはっきりと覚えています。
いま思うと何であんなに自分を映されることが嫌だったのかとあらためて考えてみたのですが、たぶん太っているというコンプレックスと強制的に向き合わされるのが不愉快だったのかなと。というのは、現実逃避が得意だったわたしは普段は自分が太っていることは意識的に忘れていたのですが、自分の容姿が写った写真など見せられようものなら嫌でもそのことを思い出させられるますし、そのことがとても不愉快極まり無かったのです。そんなわけで、わたしは誰かにカメラを向けられたびに指名手配犯のように自然と消えるスキルを誰に教わるとなく身につけていました。


さて。
とはいってもせっかくカメラが手元にあるわけですから、強い人や友達の試合を撮ってみんなで観てみようということで自分以外の人の試合を撮影しはじめたのですが、撮り始めてびっくり。


撮影するのがものすごくおもしろい...。


これは本当にびっくりしたのですが、映像や画像として何かを記録に残すという行為がこんなに楽しいことだとはその時にやってみるまでまったく知りませんでした。
強くもなければ得意技もないような人同士のおもしろくもない試合であっても、カメラをとおしてみているとこれがとても興奮するのです。いったいなぜこのようなことになるのだろうと考えてみたのですが、とりあえずすぐに思いつくのは以下の2点。

    1. カメラをとおすことでひとつクッションが出来るため、客観的に見ることが出来る
    2. あとで観る人に向けて、アングルや入れる音声を考えながら撮るのが楽しい


そんなわけで自分の出ている個人/団体戦以外はいつもカメラを持ち歩くほどにカメラ大好き(撮られるのは相変わらず嫌いでしたが)になってしまいました。


話を作品に戻して、「この惨劇を後世に伝えるため」にカメラを回したと上の作品案内には書かれていますが、「レコーディングすることの楽しさ」を知っているわたしとしては、これはどこまで本当なのか?と疑問をもたずにはいられないのです。単にカメラをまわして撮ることが楽しかったんじゃないのか?とか、カメラをとおすことで当事者意識がなくなって恐怖を薄れさせようと思ってたんじゃないのか?とかいろいろ詮索してしまうのです。
まして、撮った映像をネットにアップしてアクセスアップするのを楽しみにしていたわけですから、注目されたいという自己顕示欲もかなり肥大化していたと思いますし、そうなると後世に伝えるためなんてのは信じるに値しない言葉にしか聞こえないのです。


この作品はゾンビがどうこうではなく、ゾンビがあふれかえっているような救いようのない状況になっても自分のもつ欲望を抑えられない人たちの姿が描かれていて非常におもしろいなと感じました。


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