「イップ・マン 葉問」見たよ


日中戦争後の1949年、家族と共に佛山で暮らしていたイップ・マン(ドニー・イェン)は詠春拳を広めるべく香港に移住してきた。やがて新聞社の一角で道場を開き、ウォンという青年と仲間たちが入門してくる。様々な流派の道場主たちと対決を通じ、徐々に名が広まっていくイップ・マン。彼の元には多くの弟子が集まっていった。そして56年、後のアクションスターとなるブルース・リーと出会うこととなる――。

『イップ・マン 葉問』作品情報 | cinemacafe.net

横浜ブルク13にて。


日本では未公開の「イップ・マン 序章」に続く2作目であるためか、冒頭はよくわからない展開が続いてかなり気が滅入ってしまいました。
もう少しどういう作品か下調べしてから観ればよかった....と反省しながら観ていたのですが、それは本当に最初だけで、物語がまわりはじめたらあっという間に作品の世界に連れ込まれてしまいました。年齢や立場の上下には自分が上である限りはまったくこだわらない大らかさや、逆に相手が目上の人であれば礼儀を重んじて相応の応対をし、とても優しくて穏やかな性格でありながらも、その実、熱い気持ちと圧倒的な強さを秘めているという超人みたいなイップ・マンの人物像がとても魅力的に撮られていました。
人間としての魅力にあふれた彼の半生を丁寧に描いた、筆舌に尽くしがたいくらい素晴らしい作品でした。
もう最後の10分間は、イップ・マンのおかれた状況の理不尽さへの怒りとその後訪れるカタルシスに身を震わせながら、涙でスクリーンが見えなくなるくらい泣きっぱなしでのめり込んで観てしまいました。


今年が始まってまだ一ヶ月ですが、twitterやブログではこの作品を2011年のベスト作品候補に挙げている人も決して少なくありませんし、わたしもそう思ってしまう人の気持ちに強い共感を覚えるくらいにこの作品には「やられた!」という気分にさせられました。
疑いようのないくらいの大傑作。


話はちょっと変わりますが、わたしは小中学生の頃に(体重/身長)の値が普通の人よりちょっと大きい時期がありまして、つまり単刀直入に言えばデブだった時があります。当時、わたしは柔道部に所属していたのですが、そこでは"サモハンキンポー"→"サモハン"と命名されていたのです。


私にとっては、サモハン・キン・ポーと言えば「燃えよ!デブゴン!」のイメージでして、いわゆるデブの象徴みたいな存在でした。当時太っていることを負い目に感じていた自分にとって、サモハン呼ばわりされることはとても不愉快なことだと感じていたのですが、いま思うとサモハンかっこいいじゃん!って思うわけですよ。
あんなに太ってるのに機敏だし、強いし、よく見れば結構かっこいいじゃないですか。いくら"サモハン"という呼び方に侮蔑の含みがあったとしても、サモハンキンポーに対する敬愛を示す意味も込めて自信をもってそう呼ばれるべきだったなとすごく反省しています。


そんなことを、いい加減いい年になったサモハンがいまだに超かっこいいカンフーを披露するシーンを観ながら思っていたのでした。


話が右斜め45度くらいにずれてしまいましたが、"戦う誰もがそれぞれに戦う理由を抱えている"ことをとても丁寧に描いていることが功を奏したとわたしは思っていて、そういった丁寧な演出が積み重ねられてアクションシーンのよさをうまく引き立てていたと感じました。
近くで観られる人は学校や会社を休んででも観に行くべき作品。


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