先日読んだ「天国はまだ遠く」という本の後半のある部分を読んで「自分から見た自分と他人から見た自分の違い」って何だろうなと思い、そのことについて少し考えてしまいました。
- 作者: 瀬尾まいこ
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2006/10/30
- メディア: 文庫
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死のうとしたのに死ねなかった一人の女性のその後を描いた作品なのですが、悲壮感よりも日々癒されていく暖かさとそこにい続けられない寂しさがとても印象的ですごく好きな作品です。本書の中で一番印象に残ったのは、千鶴と田村が交わした別れ際のある会話でした。
「そやな。それに、あんたって、自分が思ってるんとは全然違うしな」
田村さんはそう言いながら、けたけた笑った。
「どういう意味ですか?」
「あんた、自分のこと繊細やとか、気が弱いとか言うとるけど、えらい率直やし、適当にわがままやし、ほんま気楽な人やで」
「何ですか、それ」
私は顔をしかめた。
千鶴が3週間ほどを過ごした民宿の経営者である田村さんから彼女に向けて発せられた言葉なのですが、この言葉がものすごく印象的で忘れられなくて、毎日毎日頭の中で繰り返し繰り返し流れていました。
千鶴から見た自分自身の評価というのは「繊細で気が弱い」というものであり、それは仕事や日常にいき詰まって死のうという彼女の行動と照らし合わせて見ればそれなりに説得力があるというか至極理解出来る評価ではないかと思います。人と人の間にはさまれて生きていくことの苦しさに疲れ果ててしまい、その苦しさを与えたひとたちに復讐するより自らの命を絶とうというのは「繊細で気が弱い」と言うその自己評価にふさわしいと感じるのです。
ところが、田村さんが下した千鶴に対する評価というのは上記のとおりこれとはまったく正反対なのです。そしてここまで本書を読んだ私の千鶴に対する評価もまた、田村さんと同じく決して彼女の自己評価とは一致しないのです。
そしてこの「自己評価と他者評価の食い違い方」というのが私自身がよく経験する評価の不一致とよく似ているのです。なぜこのような「同一の人に対してまったく正反対の評価がくだる」というようなことが起こるのか気になって気になってしょうがありませんでした。
この評価の違いの一番の原因は客観と主観の違いによるものだろうと思いますが、それともうひとつ考えられることとしては、観察するときにどこを見ているのかというその視点の違いにあるのではないかとも思うのです。
私自身のことを例に考えてみたいのですが、内側から自分自身を観測する時には外から見たときに中を覗き見ることが出来るような穴がどこかにあいてないかを探してしまいます。そのような視点で観測すると欠点を中心に評価を下すことになり、結果として上記で千鶴がしたような自己評価をすることになります。たぶん千鶴もわたしと同じようなタイプの人間だろうなと感じます。
対して逆に外側から観測する場合に相手に対してどのような感情/先入観をもって観測するかによってどのように見えるのかは大きく変わりますが、田村さんのように「否定的ではない視点」で観測した場合には決して否定的な評価にはならないはずです。
このような視点の違いがあったからこそ千鶴の自己評価と田村さんの評価がまったく違っていたわけで、こうやってまとめてみるとなんてことのない話なわけです。すごいまじめに考えたのに全然大したことが書けなかった...。
上に書いたように、わたしはどちらかと言うと自己評価を悲観的な視点で行ってしまうことが多いです。その評価は私から見たら全く嘘偽りの無い真実であるために、その評価がわたし自身に対してはめている「自分らしさという枷」になってしまうことがあります。
そして一方では他人から見たらその自己評価とは違う風に見えている部分もあるわけですが、それが直接的に、もしくは間接的にわたしに伝えられることはたぶんあまり多くありません。また、仮に教えてもらったとしてもそのことを真剣に検討したことはほとんど記憶にありません。それは自分が思い描く「自分らしさ」を過剰に重要視しているからであり、そしてまたそのような自分から見えにくい自分というものを実感としてもつことが難しいからでもあると感じるのです。
このような場合、他人から見た自分と自分から見た自分のどちらの自分を私自身として優先して認識すべきなのか?
これを言い換えれば「どちらが本当の自分なのか?」なんていうちょっと赤面してしまうような言葉になってしまうのですが、そんなことをきちんと考えてみないといけないなと思うのです。
何だか予想外によく分からない展開になってきた上に全然答えが出てこないのでこのあたりで止めておこうと思いますが、とりあえず言いたいことは「天国はまだ遠く」はとてもすばらしい作品だということでして、ぜひ未読の人には読んでいただきたいということだけです。
あとはぜんぶ寝言みたいな与太話ということでひとつ。