「GANTZ」見たよ


就職活動中の大学生・玄野(二宮和也)と幼馴染の加藤(松山ケンイチ)は、ある日地下鉄で線路上に転落した酔っ払いを助けようとして、電車に轢かれてしまう。次の瞬間、2人は見慣れぬマンションの一室にいた。周りには自分たち同様、死んだはずの人々が集められ、リビングの中央にはGANTZガンツ)と呼ばれる謎の大きな黒い球があった。そして、謎の球GANTZからミッションが与えられる。それは“生き残るために星人と戦い、そして殺すこと”だった ――。累計1,350万部を超える、奥浩哉の同名人気コミックスを映画化。二宮和也×松山ケンイチの初競演によるサスペンス超大作。前後編の2部作にて公開される。

『GANTZ』作品情報 | cinemacafe.net

TOHOシネマズ宇都宮にて。


ずいぶん前からYJで連載している原作の方は、絵や話がさほど好きになれなかったので「YJは毎週買ってるけどほとんど読むことのない空気のような作品」というのが私の中での印象でしたが、その映画化である本作は異様な世界観とスリリングな展開で目が離せないとても楽しい作品でした。実際、この作品の設定やストーリーって正直わかりにくいと感じるところもあるのですが、それおシンプルにすることで2時間という限られた枠に入るボリュームでおさえて気軽につまみ食いしてもらえるような内容になっているところがよかったのではないかなと思います。
一旦原作の設定をすべて噛み砕いた上で、映画として面白くなるように再構築していると感じましたし、そういった気遣いがとても好意的な印象を残しました。
原作が好きな人が映画に大してどういう反応を示すのかというのは正直読みかねるところですが、原作のエッセンスもしっかり感じられたのでそれほど悪い評価とはしないんじゃないかなと。そういった視点から見れば、全体としてバランスのよい映画化だと思います。


さて。
上述のとおり本作はみていてすごく楽しかったのですが、ひとつすごく気になったのが主要なキャラクターたちに対して私が感じた否定的な感情です。玄野や加藤を見ててイライラするシーンがあまりに多くて、何でわたしはこんなにイライラしてしまうんだろうかと思わずにはいられませんでした。


例えば、加藤の正義感ぶった態度や玄野の傲慢さ。
そういった登場人物の行動ひとつひとつに対する言いようのない不快感は、観ていればいるほど大きくなっていき、中盤あたりまでは結構観ていてしんどいと感じるくらいでした。もうめんどくさいよと。


話は急に変わりますが、わたしにはいくつか持論でありましてその一つに「好きになるのに理由はいらないけど、嫌いになるのは必ず理由がある」というのがあります。何かを好きになるときにはそのもの自身に惹かれる場合もありますので、明確な理由がないまま好きになることは往々にしてあります。好きだから好き、というのも十分な答えだと思います。


それに対して、嫌いになるという場合には何か必ず理由があります。理由が無いまま嫌いになるということは絶対にありません。
よくそれに対する反論として「生理的に受け付けない場合もある」というケースを挙げる人がいますが、それは単に感情を言葉に置き換えることをめんどくさがっているだけであって必ずちゃんとした理由があるのです*1。急にある日突然嫌いになるという場合にも、それまでに積み重ねてきた時間の中に何かしら原因は隠れているはずなのですが、それは作品とは関係のない話なのでここでは割愛。


そんなわけで、今回感じた不快感の理由を映画を観ながら一生懸命考えてみたのですが、最終的には自分自身に対する不満とリンクしている、つまり同族嫌悪であるというのが一番近いんじゃないかなという結論に達しました。そう判断した根拠はいくつかありますが、その中でも決定的だったのはすごく嫌なキャラとして描かれている西君には一度もイラッとしなかったということです。西君のもつ傲慢さは私の中には見当たらないタイプのものですし、そんな彼の傲慢な態度を「こんな世界を生き抜くためには必要な強さ」と認めて非常に好意的に受け止めていたのです。
西君はOKで玄野と加藤がNGと考えれば、それはもう嫌いな対象に対して自分自身の嫌な部分を見つけたとしか考えられないんですよね。


主人公クラスの2人の性格が気に食わないとなると作品が楽しめないのか...と思いきや、これがまたものすごく面白かったのです。
彼らに対して反発する気持ちがあるからこそ、むしろ彼らが命をかけて戦いの場に身を投じるその行く末が気になるし、死と隣り合わせで戦っていく中で変わっていく様子がすごく伝わってくるのです。
ここをどう書けばうまく伝わるのかを昨日からずっと悩んでいるのですが、自分にとって"ちょっと好き"とか"ちょっと嫌い"という程度の人が多少変わったとしてもその変化に気付くことは難しいのですが、ものすごく好きだったり嫌いな人はちょっと変わっただけでその変化がすごくよく伝わってくるし、感じる方も敏感に感じ取ってしまうのです。


例えば、0点を嫌い、100点を好きという1軸の評価で考えた時に、60点が59点や61点になっても気付くことはまずないでしょうが、0点が1点になったり100点が99点になれば誰でも気づくという感じです。好きの反対は無関心とはよくいったもので、つまりはそういうことです。


原作はほとんど読んでないのでそちらがどうだったのかはわかりませんが、今回の映画版については登場人物の描き方がとにかくうまくて、無関心でいられる登場人物がすごく少なかったおかげで真剣に作品にのめり込んでしまいました。


原作を知らないわたしでも楽しめるとてもよい作品でした。
3か月後に公開予定の次作についても楽しみにします!

公式サイトはこちら

*1:もちろん、「生理的に嫌」と主張すること自体を否定しているわけじゃありませんし、理由を全部言葉に置き換えないといけないというわけではありません。あくまで「そうである」という事実を述べたいだけです。