秋田弁が消える?県内の若者、共通語化顕著

秋田弁がピンチだ。秋田の子どもたち(少年層)は都市部を中心に方言を話さなくなり、青森や山形と比べ共通語化が進んでいると、専門家が調査をもとに指摘している。

http://mytown.asahi.com/akita/news.php?k_id=05000000808290002

秋田の都市部って秋田市だけじゃね?というつっこみが思い浮かびました*1
ま、それはそれとしてこれって別に今に始まったことじゃないし、方言を矯正しようという雰囲気なんて私が秋田に住んでいた頃から顕著にあったよなーというのが率直な感想です。
そしてもっと踏み込んでいうと、方言を矯正しようというのは秋田に限らずどこでも行われている事であって特別なことじゃないということです。問題点は実体ではなく、アンケートの取り方にあるのでは?と私は思います。


そんなわけで私の実体験を書いてみようと思います。
私の実家は秋田県男鹿市というところにあり、18歳に大学へ行くまではここに住んでいました。



ここは秋田県の中でも比較的訛りの強い地域でもあり、絶対的に見ても相対的に見ても方言が色濃く残っている地域でもあります。そのため、中学校までは市内の人ばかりだったので全く気付きませんでしたが、高校に入って市外の人たち、とりわけ秋田市内の人たち、と一緒に過ごすようになるとそのなまりの強さを指摘される事が多くなりました。
今思うと同じ秋田に住んでいるのに一方的に方言をおかしいと言われるのはたいそう理不尽な話なのですが、当時は伝わらないのであれば直そうと思い*2、笑いを取ろうと思う時以外はなるべく伝わる言葉で話そうと思ったのを覚えています。


これはどこの地方でもそうだと思いますが、一つの県の中でも場所によって方言は異なりますし、それらの間に互換性があるとは限りません。もし互換性がなければ、それはプロトコルが異なる通信間では疎通が出来ないのと同じ状態といえます。
このような通信が出来ない状態になったとき、お互いになるべく伝わりやすい言葉で話そうという歩み寄りの意識が働くのは自然だと考えますし、秋田県で起きている「共通語」を話すという状況はまさにそれであって憂うことでもないんじゃないかと思うのです。


仮に、秋田県だけが特別だというならば、それは県内の地方間の方言に互換性がないからそうせざるを得ないという事情であって県民性に結びつけるのは安直過ぎるかなー。

 研究に参加した秋田大の日高水穂准教授(方言学)は、他地域の人には秋田弁を出さないように心掛ける県民性を指摘する。秋田県人は「いいふりこき」(対面を重んじる、良い格好をする)だと言われる。「秋田弁は通じないのではと気を回し、使うことを控えているのではないか。『自分に合わせろ』という傾向の西日本とは、対照的だ」という。

http://mytown.asahi.com/akita/news.php?k_id=05000000808290002

ただし、個人的な感覚としてはこの意見はとても分かるというか、理解/同意できます。そういう一面があるのも事実です。秋田県の人は見栄っ張りだとはよく言われますが(ネットだとこのあたりの意見が面白いです)、そういった一面を考慮すればたしかにそうなのかも知れません。


けれども、この記事にある「『自分に合わせろ』という傾向の西日本とは、対照的だ」というのは違うかなと。
方言の中で雰囲気で理解出来るものとそうでないものがあって、西日本(たぶん関西弁や博多弁あたりを意識しての記事なのでしょうが)のように伝わりやすいものは方言のままでも伝わるので使い続ける人が多いんじゃないかなと思います。
秋田とか青森は知らないと通じないんじゃないかと思うんですよね。テレビ見てるとたまに字幕出されてるし...。


ま、もっと研究が進めばもっとおもしろい成果が出てくるでしょうから楽しみにしています。

*1:秋田市ですら都市部ってのとはちょっとイメージが違う気がするけどそれはひとまず置いておこう

*2:なまっている事を恥ずかしいと思ったのもひとつの理由かな