思い出の切り売り

最近ブログを書いてて思うのは、こうやってブログを書くことは思い出を切り売りすることなんだなとつくづく感じます。
切り売りってのは何かイメージ悪いし、そもそも書いたところでその思い出がなくなるわけじゃないから正確に言えば違うんだけど*1、同じことを何度も書くことはあまりやりませんので一度書いたらもう書けないというそんなニュアンスを汲み取っていただけるとうれしいです。


以前何かの本で読んだことがあるのですが、どんな記憶でも大体脳の中には残っていてそれが消えることはないのだそうです。忘れるというのは記憶そのものが消えるわけではなくて、その記憶へのポインタが見つかりにくい状態になっているだけだそうで、へえ面白いなと感じました。
だからなのか、映画を観たり本を読んだりしていると、その情報から一時的に過去の記憶へのリンクが復活することがあります。
だけどその記憶へのリンクは本当に一時的なものであって、油断するとすぐにそのリンクは途絶えてしまいます。何かを思い出したことは覚えていても、その内容はまたもやリンク切れ状態になってしまうのです。


イメージ図を描いてみました。
記憶の全集合は赤の領域です。その中で、今現在他の記憶を頼らずにアクセス可能な部分を緑の領域で書いています。


緑の領域からリンクを張られているものが記憶をたどって思い出せる部分であり、これも覚えているという範疇に入りそうです。



こんなイメージ。
あくまで実体験をとおして感じた感想なので、ちゃんとした記憶に関する書籍を一冊読みたいなと思っています。
とは言っても真剣に記憶なんて勉強するとすごく難しいのは承知しているので*2、まずは手軽なものを一冊探して読んでみようと思います。


最近は何か見て思い出したことがあれば、ここに映画や本の感想とともにその話を書くようにしています。おかげでブログを読み返せばその思い出した時の記憶へのリンクがいつでも作られます。記憶の外部委託として、ブログはとても有効だなと改めて思ったのでした。

*1:思い出の切り売りというと嘘喰いの懲役ギャンブルみたいでかっこいいなと思ったのは内緒

*2:私が学部生の時に生物科の講義を聴講したことがあるのですが、導入部分はともかく中/後半はぜんぜん分からなくて途中で退室した苦い思い出があります