「インサイドヘッド」の例の映像を観てきました

そろそろ上映が終わりそうだったので駆け込みで「インサイドヘッド」を観てきました。

映画自体は伝え聞いていたとおりたいへんすばらしい作品でして、最後には思わず涙してしまうほど引き込まれてしまいました。泣いたり怒ったりすることはよくないことというか、そういった泣いたり怒ったりという負の感情を抑えられずに人前で晒すことはよくないことであって、そういうのをコントロールできるようになって人前ではいつもにこにこ笑っていることがいいみたいな価値観ってわりと多くの人が共有しているんじゃないかなと思っています。

怒りっぽい人は嫌われるし、泣いてばかりの人はバカにされる。

もちろんそれはそれでしょうがないというのも分かるというか、怒ったり泣いたりしている人を見るのは嫌だというのはわたしもわかるし、臆面なく大勢の前で感情を露出されることに対して嫌悪感を抱くこともまた素直な反応だと言えるのかも知れません。

本作は泣いたり怒ったりという負の感情を抑え続けて朗らかに振る舞い続けてきた少女が、生活環境の変化や自身の成長に伴うたくさんの変化にいままでどおりの感情制御では対応しきれなくなっていくというお話なんですが、それはまた別の機会に感想を書くとして今回は本編前に上映されたある映像集についての感想を書こうと思います。


その映像集というのは、本作の日本語版主題歌である「愛しのライリー」をバックに誰だか分からない普通っぽい人たちの写真をレイアウトした映像をひたすら流すというものです。

おそらく本作のテーマが「感情」であることから、感情が伝わってくる写真を集めてまとめたんだろうなというのは想像できるのですが、これがもう観ててイライラするというか「なんでこんな見も知らない人たちのよくわからない写真を見せられないといけなんだ...」という気持ちでいっぱいでした。


この内容および感想について書く前にとりあえず公開直後に観た人たちの感想ツイートをまとめたものがあるでそちらへのリンクを貼っておきます。以降を読む前に一読ください。



ディズニー/ピクサーの最新映画「インサイド・ヘッド」で本編前に強制敵に視聴させられるDREAMS COME TRUEの書き下ろし主題歌『愛しのライリー』が観客の“感情”に響いております。

映画「インサイド・ヘッド」でのドリカムに困惑する人々のまとめ(抜粋) - Togetter


怒ってる子どもの顔だとか幸せそうなカップルだとか笑顔で並んでいる家族だとかそういった写真が多かったように思えるのですが、始まってからずっと不愉快な気持ちでこれを眺めながら「そういえばこういうことが前にもあったな...」と引っかかる部分があったので記憶をたどったところ「JAPAN IN A DAY」という映画を観たときだったことを思い出しました。

特別じゃない日なんて、1日もない。例えば、広げた新聞の一番上に、3月11日という日付を見つけて一瞬手が止まる。これから先も、そうした瞬間を迎えるのかもしれない。あれから1年後の2012年3月11日。人は、どんな24時間を送ったのか。人々がその日撮影した様々なシーンをつなげストーリーとなったドキュメンタリー映画

『JAPAN IN A DAY』作品情報 | cinemacafe.net

「JAPAN IN A DAY」という映画は2012年に公開された映画なんですが、上の説明にもあるとおり2011年3月に起きた東日本大震災から1年後にあたる2012年3月11日に撮られた映像をまとめた映画です。

映画とは言っても誰かが撮った映像をただつなげただけであって実際にはドキュメンタリーでさえないとわたしは思っています。ただいろんな人が撮った映像をザッピングしてつなげただけのものでしたのでこの映像からはわたしはなにも感じることができませんでした。

震災の1年後の世間の空気を映像として残す。

その試み自体はとても意義があることだと思うのですが、一方では見知らぬ誰かがなんとなく撮った映像を映画館で見せられてもなんとも思えないし思えるわけがないと思うのです。だって自分の知らない誰かが過ごす日常を何の工夫も演出もなく観たって楽しいわけないじゃないですか。

素材の良し悪しだとかそういうレベルではなく、「JAPAN IN A DAY」については映像の編集をさぼっているだけのただの怠慢なのです。出てきた人たちのバックグランドをちょっと掘り下げたりするだけで印象がぜんぜん違ってたのに、それすらせずにただ映像をつなげただけというのは責任放棄としか思えません。


物事を正しく理解するためにはその文脈を含めて理解する必要があります。


上の「インサイド・ヘッド」のまとめでも書いている人がいましたが、映画の上映前に流れた映像はまるで披露宴で流れる動画のようでした。あの手の動画は新郎・新婦の幼いころや学生のときの楽しそうな様子、出会って結婚するまでに撮った写真がまとめられていることが多いのですが、それと似ていると感じた人が多かったようですしわたしも似ているなと感じました。


では上映前に流れたあの動画がつまらなかったんだから披露宴で流れる映像もおもしろくないのか?というとそんなことは決してありません。新郎・新婦の小さいころや学生時代の写真を見てみんな笑ったり楽しんだりしていますし、個人的には披露宴の中ではかなり好きなイベントのひとつです。

似ているはずのそれぞれの動画でなぜこんなに反応が違うのかというと、披露宴で観られる動画というのは「大事な友人が過ごしてきたこれまでの人生の文脈の一端を教えてくれる」からです。どんな子どもだったのか?どんな学生時代を過ごしていたのか?そんなことを教えてくれるから楽しいし、もしその中に共通の思い出となる写真があればその文脈を共有できていることを確認できて一層盛り上がります。


そういった文脈を一切伝えることをせず、見知らぬ人の人生の一瞬を見せられたところで何とも思わないし、逆にその意図が分からな過ぎてイライラします。もちろんそういう文脈なんて知らなくても伝わる写真もありますが、ほとんどはそうじゃないんですよ。

「素材がいいからそのまま使おう」っていうのは甘えだと思うし、観る方も出る方も誰も得をしないので「JAPAN IN A DAY」やこの映像のようなことはもう二度と止めて欲しいなと思います。


(感想リンク)