「フューリー」見たよ


1945年4月、第二次世界大戦下のドイツ。侵攻を進める連合軍に“ウォーダディー”と呼ばれるという米兵がいた。長年の戦場での経験を持つリーダー格・ウォーダディ―は、自身が“フューリー”と名付けた戦車で、3人の兵士と共に戦っていた。ある日、彼の部隊に新兵のノーマンが配属されるが、彼は初めて体験する戦場に、銃を撃つこともできない。そんな中でも、次第に絆を深めていく5人だったが、ドイツ進軍中に攻撃を受け、他部隊がほぼ全滅。彼らの部隊だけが、取り残されることに――。

『フューリー』作品情報 | cinemacafe.net


第二次世界大戦でドイツに侵攻した連合軍が劣勢を跳ね返しながら戦う様子を描いた作品でしたが、これほど臨場感のある戦争映画はひさしぶりに観たなというくらい生々しいシーン満載の作品でした。銃で撃たれる様子もなかなかきついのですが、濠に隠れていた敵兵を戦車で踏みつぶしたり大砲で撃ってぼろきれのように消し飛ばしてみせたり、とにかく観ていてつらくなるシーンが多かったです。

この作品を観ながら思い出したのは「プライベートライアン」でして、あの作品の冒頭で描かれていた上陸作戦の映像を観たときと同じような戦争への怒りの感情がふつふつとわいてきました。人の命が何の価値もないように扱われる戦争のくだらなさと、そんなくだらないことのために命をはらなければならないことへの言いようのない怒り。

そんな怒りを抱えながら鑑賞していたのですが、それと同時にそんなクソみたいな戦争で起こった出来事の再現映像をエンターテイメントとして消費している自分への嫌悪感もわいていました。

人が人としての尊厳を保つこともできず、ただただ殺すか殺されるかを繰り返す世界。
殺さないにしても、一度街を占拠してしまえばそこにいる女性を娼婦以下の扱いで慰みものにするようなことも平気で行ってしまうのが当たり前の世界。

そんなどうしようもない出来事を観ながら、ドキドキしたり応援している側の勝利にカタルシスをおぼえたりしている自分に気付いたときに「うわあ...」という言葉が出てきそうな不快感をおぼえずにはいられませんでした。不快感というか、こういうことを楽しめてしまう感覚を当たり前のように受け止めている自分にがっかりしたのです。


映画としてはものすごいクオリティの高い作品でしたし、率直に感想を言えばおもしろかったなと言うことになってしまうわけですが、すべての描写があまりにリアルであったからこそ当時の人たちが過ごした地獄のような時間を想像してしまい、それを娯楽として消費してしまうことに罪悪感をおぼえてしまいます。


@MOVIX宇都宮で鑑賞


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