汚れなき悪戯

スペインのある町の町長を3人のフランシスコ会修道士が訪れ、侵略者フランス軍により破壊されたまま廃墟となっている丘の上の市有地の修道院を再建する許可を求めた。町民の助けを得て再建された修道院ではやがて12人に増えた修道士たちが働いていたが、ある年の聖マルセリーノ祭の朝、門前に赤子が置かれていた。両親は既に亡くなっていたことが判ったので、修道士たちは近隣に里親を求めて歩き回った。

しかし適当と考えられた人々の生活は苦しく、また引き取ると申し出た鍛冶屋は児童を虐待しているため修道士の方で断り、結局赤子は修道院で育てることになった。5年後、マルセリーノと名付けられた赤子は丈夫ではしこい少年になっていたが、母親もいなければ同じ年代の遊び相手もいない境遇に、修道士たちは憂慮していた。

フランシスコは農具や工具を保管する屋根裏部屋には決して入るな、奥の部屋には男がいておまえを捕まえるとマルセリーノに言いつけていたが、ある日おっかなびっくり階段を上がって行ったマルセリーノは奥の部屋で大きな十字架のキリスト像を見た。マルセリーノの“汚れなき悪戯”が始まる…。

汚れなき悪戯 - Wikipedia

1955年製作のスペイン映画。
今まで観た映画の中では最も古い作品ですが、古くささはまったく感じませんでした。名作っていうのはこういう作品のことをいうのだなと実感できる作品でした。
特に好きだなと感じたシーンは、修道院の前に子どもが捨てられているのを見つけたときにみんなが異様に興奮してしまい、結局その後全員で育てようと一致団結するシーンです。さあ、こいつを育てるぞ!!というみなの様子がすごく楽しそうで観ているだけでワクワクしてきます。新しい生命に浮かれる修道士たち。子供がいる生活って大変だけどいいよねと思いながら鑑賞しました。


ただ、そこまでの部分がよかっただけに、あのラストは無いなと思ったのです。率直に言ってがっかりしました。
だってマルセリーノは死にたかったわけではなく、母親に会いたかっただけなのです。なのに、けな気に生きていたマルセリーノはその命を奪われてしまった。それのどこが感動なのかさっぱり分かりません。さらに、それを神の元に召されたとか言って感動の話として片付けてしまうのは何だか違うよなと感じるのです。
なんて、信仰心の無い人間がこういう作品に文句をつけるのはナンセンスですね。やめときます。


最後はともかく、それ以外の部分は非常に惹きつけられるシーンの多い作品でとても楽しめました。


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