「ゼロ・グラビティ」見たよ


地表から60万メートル上空。すべてが完璧な世界で、誰もが予想しなかった突発事故が発生。スペースシャトルは大破し、船外でミッション遂行中のメディカル・エンジニアのライアン・ストーン博士(サンドラ・ブロック)と、ベテラン宇宙飛行士マット・コワルスキー(ジョージ・クルーニー)の2人は、無重力空間に放り出されてしまう。漆黒の宇宙で2人をつなぐのは、たった1本のロープのみ。残った酸素はわずか2時間。地球との交信手段も断たれた絶望的状況下で、2人は果たして無事生還することができるのか…。

『ゼロ・グラビティ』作品情報 | cinemacafe.net

TOHOシネマズ宇都宮で観てきました。


3D字幕版で鑑賞しましたが、迫力ある映像と臨場感あふれる演出がたいへんすばらしい作品でした。もはやこれは映画鑑賞というレベルではなく、宇宙空間を疑似体験したと言っても過言ではないと思います。劇場で観てこその映画だし、ぜひできるだけよい鑑賞環境(大きなスクリーン、大音響)で観て欲しい作品です。この作品の2回目はIMAXに行ってみようかな。


そんなわけで映像は大変すばらしかったのですが、それ以上によかったのが物語の内容です。

わたしはこの物語を観ながら、重力はしがらみや運命と対比づけられているように感じました。


地球という場所で生きていく上で逃れられない重力、それは人間社会で生きていく上で避けられない他者とのしがらみや受け入れるしかない運命と等価であるとこの作品は述べていたような気がするのです。

地球の重力場から逃れて重力という束縛から解き放たれた宇宙飛行士たちは、煩わしさとは無縁の静かな宇宙で美しい地球を俯瞰しながら自身のミッションに集中します。他者から余計な干渉もなく、最低限必要なコミュニケーションは音声のみ(しかもそれはすぐに切り離せる)で行われているために「好きなことを何でも自由にできる」というたいへんすばらしい環境のようにも見えるのです。


ところがひとたび問題が起こると事態は一転します。

起こる事態のすべては自分一人の力で解決するしか手はなく、さらに自分自身にできることというのも極端にかぎられていてほぼ何もできないに等しいことを思い知らされるのです。そしてこの状況は他者とのコミュニケーションを拒絶して孤独を選択した人間の末路と同じようにも感じました。


そう感じたのは、何度となく起こる地球と通信ができないという状況がさまざまなしがらみから逃れたことによって発生する他者とのディスコミュニケーションを想起させたということ、そして重力という自らを縛るモノがないゆえに寄る辺なく宇宙をただようことしかできないという状況が他者とのかかわりを拒絶した結果として発生した孤立を想像させられたのです。


どんなに辛くても人間として社会に属して生きていく以上は他者とのかかわりを絶つということはできないし、そういったものをすべて絶つのであれば相応の覚悟をもたなければならないし、それよりも人とのかかわりという束縛を受け入れて生きる方が幸せな生き方と言えるんじゃないかなという気がしました。

わたしはコミュニケーションが下手なのでどうしても他者とのかかわりを極端に減らそうとしてしまいがちですが、そういった心地よさの先にあるのはまさにゼロ・グラビティの世界だと思うとちょっとゾッとしました。



(追記)


あんまり映画に関係ない余談をちょっとだけ。



映画を観ながら思い出したのですが、むかし高校で物理を勉強したときに物体の運動の計算、とくは等速直線運動や等加速度運動に関する計算式が納得できなくてすごく悩んだことがあります。

等速直線運動というのは運動している物体に力が加わらない場合の運動のことして、つまり物体の速度が変わらない運動です。

教科書には「一定速度v[m/秒]で進む物体はt秒後に何メートル(L)すすむでしょうか?」なんていう問題が簡単な練習問題として載っていたはずだと記憶していますが、これは速度と時間の単純な掛け算で計算できます。


L [m] = v[m/sec] * t[sec]


この式自体は簡単で分からないことはなかったのですが、わたしがわからなかったのは時間tをどんどん大きくしていくと距離Lもどんどん伸びていくという点です。

ただの掛け算なので計算結果がそうなるのは当たり前なのですが、でも実際になにか手元にあるモノでこの運動を再現させようと実験してみても、tに比例して距離が永久にのびるなんてことはぜったいにありません。運動している時間が十分大きくなれば運動は止まり、距離もそれ以上のびなくなります。

これは運動を阻害する要因である空気や摩擦による抵抗があるからであって、それを加味していない計算式の結果と現実が合わなくて当然なんですが、現実と合わない現象、言い換えればこの世にありえない事象を想定して計算をすることにどれだけ意味があるのだろうと不思議でなりませんでした。

いまとなっては「最初からいきなり摩擦や抵抗なんて概念を入れたら難しくて理解が深まらないからかな?」なんてことも想像できますが、そのときは本当に嫌で嫌でしょうがなかったです。校外模試だと問題文に「ただし摩擦や抵抗は考慮しないモノとする」という一文が付け加えられたりしていましたが、そんな想像の世界の運動を計算して何がおもしろいの?とそれはそれで不満でした。


ところがこの作品で描かれる宇宙というのはまさに高校物理の基礎が教えてくれる摩擦や空気抵抗が無いように見える世界であって、この作品はものの見事にその運動を映像化していたように見えました。ひとたび強い力が加えられるとその慣性で永遠に運動を続ける世界、まさにあの基礎的な式で計算される運動がこの作品では描かれていました。

本当にささやかなことなんですが、そのことがすごくわたしにはうれしくて高校の時の自分にこの映画をみせたいなと思いながらずっと鑑賞していました。


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