「マシンガン・プリーチャー」見たよ


麻薬とアルコールに溺れていたサム(ジェラルド・バトラー)はある事件を機に改心し、アフリカの内紛に巻き込まれている子供たちを救おうと決意。内紛真っ只中のスーダンに孤児院と教会を建てるが、ゲリラ武装集団に襲われ、サムもやむなく武器を手にすることに。唯一の理解者で親友・ドニー(マイケル・シャノン)、愛妻・リン(ミシェル・モナハン)の支えを得て、活動を続けるうちに次第にサムは“マシンガン・プリーチャー(銃を持った牧師)”と呼ばれるようになり――。

『マシンガン・プリーチャー』作品情報 | cinemacafe.net

(注意)
本エントリーは作品の結末に触れている部分があるので未見の方はご注意!


宇都宮ヒカリ座で観てきました。

クスリとお酒で人生を棒に振りまくっていた男性が、成り行きで人を殺してしまったことをきっけかに教会を建てるところまで改心したけれど、改心し過ぎてアフリカの子どもたちを救おうという活動まではじめてしまってさあ大変という、なかなかふり幅の大きいお話でしたがおもしろかったです。

この内容をおもしろいと評するのはやや気が引けるのですが、人はなかなか変われないということと、人間一人が幸せにできる人の数なんてたかが知れてるんだよなということを嫌というほど思い知らされました。


前に何かのエントリーで書きましたが、両手に持てるものの数が決まっているように、他人に与えられる幸せの量は人それぞれ決まっているしその絶対量なんてのはたかが知れています。さらにそれを届けることができる量というのは、万有引力と同じようにおおよそ相手との距離の二乗に反比例して小さくなっていきます。


だから身近な人さえ満足に幸せにできないような人が、遠くにいる多くの不幸な人を幸せにしたいだなんてのは妄言に過ぎないと私は思うし、本作においても遠くにいる人たちを救おうとすればするほど身近な人たちの幸せは奪われていったように描かれていると感じたのです。

そういう視点で見ると、本作のラストが示したのはサムは身近な人を幸せにするのを諦める代わりにアフリカの人たちを幸せにするという道であり、多くの不幸な人たちを彼にとっての身近な人に置き換えることでより多くの人たちを救おうとしたという選択だったわけです。

そのことはとても立派なことなのかもしれませんが、私から見たらとても寂しいことのようにも感じられました。



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