「漫才ギャング」見たよ


結成10年目にもかかわらず、一向に売れないお笑いコンビ“ブラックストーン”。ボケ&ネタ作りを担当する飛夫(佐藤隆太)だが、相方から解散を告げられたことにより、自暴自棄に。結果トラブルに巻き込まれ置場送りになってしまう。そこで出会ったのはストリートギャングと乱闘の末、留置所へ送られてきた龍平(上地雄輔)。トレッドヘアーにタトゥーだらけの龍平に初めはビビるもの、彼のツッコミの才能に気づいた飛夫はお笑いコンビを組むことを提案する――。品川ヒロシが自著の同名小説を映画化。自身で監督、脚本を務める。

『漫才ギャング』作品情報 | cinemacafe.net

宇都宮ヒカリ座にて。


新入社員が入ってくる時期になると、物珍しさも手伝ってか彼ら彼女らにはあちこちから好奇の目が向けられて、さまざまな評価がくだされる声が聞こえてきます。
そんな声の中でもよく聞こえてくるものが「新人は使えない」というものです。最近だと「やっぱりゆとりは...」なんていう前置詞付きで揶揄されることも少なくありません。
ただ、それについてよくよく考えてみるとそれはある意味当たり前のことでして、彼らはいままでやったことのないことに挑戦しているわけですから何事も最初からは出来なくて当然ではないかと思うわけです。もちろんできない当人がそれを当たり前と割り切ってしまうのは今後のことを考えるといささか問題があるかも知れませんが、でもいきなり出来ないこと自体をダメだと断じてしまうのはかわいそうな気がします。


専門用語や仕事の進め方など周りに見えるものすべてが分からないことだらけの状況ですし、環境に慣れていない彼らの口からは「あー、分かってないなあ」とか「それはそうじゃないんだよ...」と思ってしまう発言も少なくありません。そしてそれを声高にバカにする人もいますが、実はそういう言葉こそ、入りたてほやほやの新人たちから学ぶべき部分があると思うわけです。
学ぶというか思い出して欲しいのです。


仕事に慣れていない新人の考え・感覚は、そこで働く多くの人間よりも世間一般の人たちの感覚に近いはずです。ずっと同じ仕事をしていることで見えなくなってしまった問題に気付くためには、そういったリセットされた感覚がとても大事になるとわたしは思います。


どんな人でも、それなりに長く生きていれば、その場でどういう発言をすれば受けがいいのかということは何となく理解できるようになります。適切な発言がどうか分かったところで実際にそれを発言するかどうかというのはまた別の次元の問題ですが、そういった「他人受けを考える」という小賢しさというのは特に意識しなくても毎日生きていれば自然と分かるようになる機能の一つであると言えます。
ただ、そういう受けのいい言葉というのは「逆にだれでも言えること」でもあるわけで「そんな誰でも思いつくようなことをありふれた言葉で語ることにどれだけ意味があるのか」と言うと、わたしにとってはあまり意味のないことだと感じるんですよね。たとえどんなにいい発言であっても、お仕着せで手垢のついた言葉なんて誰の心も動かさないし惹きつけないとわたしは思うのです。
出来あいの素敵な言葉よりもその人の立場から見た率直な意見の方がよく伝わるし、その方が聞く人も得るものが多いと感じると思います。


話がずいぶんとそれてしまいましたが、本作は品川さんが自身がお笑い芸人であるということを最大限に活かし、お笑い芸人の思考/行動パターンやその生態についてとても丁寧に描かれていてとても面白い作品でした。品川さんは本業が別にあるわけですし、当然長く映画作りに携わってきたわけでもないので映画作りと言う場においては彼はまだ新人と言ってもよいと思いますが、それをあえて弱みではなく強みととらえて自分に見える世界をしっかり映像化しようとしていたしそんな熱い想いが伝わってくる内容でした。
無いモノを欲するのではなく、あるモノをどう活用していくのかという発想はすごく好きです。


ちなみに石原さとみがかわいかったのもすごくよかったです。もうあの笑顔だけで100点。


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