理解しあえないことを理解する大事さ/「ちいさな哲学者たち」見たよ


1960年代に「こどものための哲学」という研究がコロンビア大学の教授によって提唱された。子供が元々持っている“考える力”を話しあう事でさらに高め、その後の認知力と学習力、そして生きる知恵へとつながってゆくことが唱えられている。この理論を基に、パリ郊外の教育優先地区にあるジャック・プレヴェール幼稚園で哲学の勉強クラスが設けられていた。そのクラスでは、男女関係や、貧富の差、人種の問題などフランスならではの社会的テーマを園児たちが語り合っている。普通の幼稚園では教えない哲学を学ぶことで、子どもたちが自分で考える力を養うという斬新な試みにカメラが迫ったドキュメンタリー。

『ちいさな哲学者たち』作品情報 | cinemacafe.net

シネリーブル梅田にて。


幼稚園にかよう子どもたちを集めてひとつのテーマについてそれぞれが思うことをぶつけあうという、言ってしまえばそれだけの内容なのですが、これが予想以上にものすごくおもしろかったです。特に大きな山場があるわけでもないし、内容といえば幼稚園での子どもたちのやりとりがメインで非常に地味な内容なのですがこれが不思議とまったく飽きなかったのです。


その理由について、観終わってからあれこれ考えてみたのですが、子どもたちのまっすぐなアウトプットのもつ魅力に惹かれたんだろうなというのがわたしの出した答えでした。


以前「小学生映画日記」という本を読んだ時にも書いたのですが、偏見や先入観のない子どものまっすぐな自己表現というのはそれだけで見るものを惹きつける何かをもっています。文章でも絵でもなんでもそうですが、子どもたちには経験による裏打ちがない分、直感や評価されることを期待した打算よりも彼ら自身の根っこの部分にある本音が色濃く出ていておもしろいんですよね。
だから、わたしがこの作品を観て惹かれていたのはきっと子どもたちの言葉なんだろうなと。


そしてこの子どもたちの議論を観ていて感じたのは、やはり5歳という年齢は自分の意見を十分に言えるほど充分ではなく、議論という議論にはなっていないということです。それぞれが好き勝手に言いたいことをいい、反対意見を述べられると怒ってみせたり眉をしかめて不快であることをアピールするわけですよ。とても議論とは言えません。


でも彼らはこの中でひとつ大きなことを学びます。それは「分かり合える人ばかりではない」ということです。


ここで議論したことを彼らはきっと忘れてしまうと思います。それは当然です。
でもどれだけ話しても理解しあえない人がいるということを彼らはきっと忘れないはずです。なぜなら、それは自分自身で体験して体で理解したことだからであり、そして実体験を伴う理解は決して忘れることはないからです。


考えていることを一生懸命伝える努力をすることの大事さ。そしてそれだけ言葉を尽くしても理解しあえない人もいることを理解すること。
5歳の子どもがこんな大事なことを学ぶその瞬間を観られたわけですから、おもしろくないわけがないよなとあらためて実感しました。


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