- 作者: 若宮健
- 出版社/メーカー: 祥伝社
- 発売日: 2010/12/01
- メディア: 新書
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韓国にできて、日本にできない恥辱。日本は、まともな国といえるのか!?韓国では、往時にはパチンコ店が1万5000店、売上高は日本円にして約3兆円にのぼった。それが、2006年の秋に全廃され、いまは跡かたもない。だが、その事実を伝えた日本のメディアはなく、それを知る日本人は、いまもほとんどいない。日本でいち早くそれをレポートした著者は、その後も何度も韓国を訪れ、なぜ韓国にそれができたのかを取材した。そこから見えてきたものは、日韓であまりにも対照的な社会の実態だった。
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わたしは秋田に生まれ、山形で学び、そして栃木で働いているのですが、こうやって地方を転々としていて気付くのは「中途半端な田舎ほどパチンコ屋が多い」ということです。都市圏にもパチンコ店がないわけではないのですが、普通のお店も多いために相対的に目に入りにくいですし、実際に田舎と比べるとその絶対数はすごく少ないように感じています。
さて。わたしが18歳まで住んでいた男鹿市は人口3万人の小さな市でしたが、当時我が家を中心にした半径1km以内にはパチンコ店が4件ありました。ものすごい大きなお店というのはなかったのですが、そこそこの規模のパチンコ店がそれぞれ一定の距離を置いて共存していたと記憶しています。
そんな土地柄ですからパチンコを趣味にしている人は多く、うちの父や親戚には休みになればパチンコに出かけるという人が少なくありませんでした。わたしが小学生の頃の事ですからもう20年も前のことですが、今よりは牧歌的な雰囲気でしたし少額で遊べる娯楽だったような気がしています。
もちろん、足しげく通っていたわけではありませんので「本当にそうなのか?」というのはあくまで感覚的なものになってしまいますが、今のように朝から並んでいい台を取ろうとしてる人や、自己破産してしまう人なんてのは聞いたことがありませんでした。
変な表現ですが、地域の人たちの集会所の一つみたいなそんな場所だったんじゃないかというのが当時の印象でして、パチンコに対して負の感情と言うのはあまりもっていませんでした。
ところが、わたしが大学に入ってその印象は大きく変わります。
大学に入って早々に仲良くなった友だちがいたのですが、5月くらいからパチンコにはまってしまい大学に来なくなってしまいました。講義を受けないだけでなく、飲み会とか遊びの連絡しても忙しいから一点張り。で、どこにいるのかと言えばパチンコ屋っていう状態でして、最初は戻ってきてほしいと思ってたわたしもすぐに飽きてしまい、他に友だちを作って遊んだりするようになってしまいました。
その後、彼は4年間では卒業出来なかったのは知っていますが、大学を辞めたのか卒業したのかは知りません。少なくともわたしは卒業したあと2年間は同じ大学の大学院に残っていたのでその間に卒業していないというのは間違いありません。市内に住んでいるというのは人伝に聞いただけで、まだパチンコをしているのかどうかも知りません。
彼がどういった経緯でパチンコにはまるようになったのか、もしかしたら大学に入る前からはまっていたのかも知れませんが、そこそこ真面目そうに見えた人がパチンコをして身を持ち崩したことに何となくいたたまれない気分になったことはよく覚えています。
そんなわけで、わたしはパチンコというものに対してはものすごく複雑な感情を抱いているわけですが、やはり大学時代に感じた負の感情が色濃く残っている影響か、基本的には今でもパチンコは大嫌いです。そしてパチンコへの怒りは「パチンコをする人」にも向けられるようになっていて、「パチンコをする人も嫌い」というのがいまの率直な気持ちです。
もしパチンコ好きな人がいたら大変申し訳ないのですが、たぶんその人とはあまり会話が盛り上がらないんじゃないかと思うほどです。
そのパチンコ店・チェーンの経営者の多くが韓国・北朝鮮系であることはとてもよく知られていると思いますが、その本国韓国では既にパチンコが禁止されているということにまず驚かされました。そういう意味ではタイトルをみてまずびっくりしました。
特に根拠もなく「韓国ではパチンコ店がたくさんあるに違いない」的なことを信じていましたが、2011年の韓国においては、もはやパチンコなんて影も形もない過去のものになっているということにただただ驚かされました。
本書ではパチンコが無くなった経緯についても書かれていましたが、ある事件をきっかけに「パチンコが国民の生活に悪影響を及ぼすものである」という判断から行われたものであるそうですが、著者はこういった判断をなぜ日本政府が出来ないのか、マスコミも問題として取り上げないのかと再三問題提起しています。
たしかに読めば読むほど、パチンコがこれだけ大手を振って堂々と存在できることが異常だと思いますし、それを許していること自体が不思議でなりません。
わたしの幼い頃の記憶にあるとおり、パチンコ屋で地域の人同士がコミュニケーションを取ると言うこと自体は知っていますし、その可能性がないとは言いません。娯楽のない地域において唯一の楽しみとして残すべきという意見にもそれなりの理解は示せます。
ただ、それでもやはりパチンコという中毒性の高い、そして中毒になるようにうまくコントロールが働いているギャンブルをこのまま放置しておくことはとてもいい気分ではありません。やはりどこかで自粛させる必要があると思うし、タイミング的には今をおいてその時期はないと思うのです。
パチンコをすることは個人の自由であり、その自由を犯すことは許されないことだという主張もあるでしょうが、その結果としてたくさんの人がたくさんのものを失っているのであればそんな自由は無条件で許されるべきではないと思います。
パチンコに夢中になって車に放置された乳幼児が熱中症で死んでしまうという事件は毎年のように起こっていますが、このまま続いていけば、お正月に餅を食べて年寄りが死ぬといった時節を感じさせる出来事程度にしか誰もが思わなくなってしまいます。と書くと、冗談を言っているようにも思われそうですが、でも今こういった事件が起きたとしても「世の中にはバカな親がいるもんだ」と、パチンコに興じていた親の不出来を叩くことに終始する程度に終わってるじゃないですか。パチンコ自体が悪いという人はほとんど見たことがないし、親自身の自己責任論に終始するだけです。
沖縄で夜中に出歩いていた少女がレイプされた時に、「夜中に出歩く人が悪い」「ついていく方が悪い」という自己責任として切り捨ててしまう人が多かった(こういう人)日本人らしい感覚ではありますが、ただ強烈な中毒性があるものについて取り締まるべきだという意見がもっと出てもいいんじゃないかなと思うんですよね。自己責任というだけで何も解決しないし、こういう事件を自己責任で片づけて得をするのは"パチンコ業者"かそれを公言して「おれ正しいこと言った」と気持ちよくなっている人だけなんですよね。
とりあえず韓国のいいところばかり書かれているのがアレですが、ただ、韓国の意思決定の早さと日本に比べて圧倒的に強いトップダウンについては多少見習ってもいいんじゃないかなと思うし、その点についての韓国の強さというものを改めて認識できる内容でした。
(参考)