ある中学校、雑然とした教室。終業式後のホームルーム。1年B組、37人の13歳。教壇に立つ担任・森口悠子(松たか子)が語り出す。「私の娘が死にました。警察は事故死と判断しましたが、娘は事故で死んだのではありません。このクラスの生徒に殺されたのです」一瞬、静寂に包まれる教室。物語は【告白】から始まる――。発行部数70万部を突破し、本屋大賞を受賞した湊かなえの同名ミステリー小説を映画化。
『告白』作品情報 | cinemacafe.net
TOHOシネマズ宇都宮にて。
ストーリーはかなり原作を忠実に再現しつつ、それを映像・音声で効果的に演出しているすばらしい作品でした。原作は3回も読んでしまったくらい大好きな作品ですが、そんなすばらしい原作のイメージをまったく損なうことなく、文章から生み出されるイメージを映像と音声で膨らませるという「小説の映画化」としてはこれ以上に成功している事例を見たことがないくらいによくまとまっていました。
劇中で多用されていてとても気になったのが、情景をミラー越しに見せるという手法です。
街角にあるような曲率半径の大きな半円形のミラーに、人々が行動する様子を映すということを何度も行っていたのですが、最初は何でそうしているのかさっぱり理解出来ませんでしたが、ふとこれは「ひとつの出来事も映すものが違えば違って見える」ということを暗に述べているのではないかと気付いたのです。
原作を読んだときに感じたのは、この作品が主張しているのは「真実を語ることのむずかしさ」であるということであり、今回映画を観たことでその思いはさらに強くなりました。確信をもって言えます。
作中で告白をする誰もが「自分は本当のことを語っている」と思い込んで告白をしているのですが、でもそれらすべては本当ではありえません。なぜかと言えば、それぞれの告白は互いに矛盾を孕んでいるために必ず誰かが嘘をついているからなのです。では誰が嘘をついているのかというと、嘘の大小、本人の思い込みを問わなければ、全員が何かしら必ず嘘をついているんですよね。誰か一人だけが嘘をついているわけじゃないし、言い換えれば誰一人真実だけを語っている人がいないともいえます。
同じ事実を見ていても、それがどう見えてどう理解するのかは見る人それぞれ異なるというのが本作で述べられていることですが、これを映像表現として見せるためにあんな方法をとっていたのではないかと考えると、もう一度すべてのシーンが見たくなってきました。
原作をもう一度読んだ上で、さらにもう一度映画も観に行きたいと思っています。
原作にまったく劣るところのないすばらしい傑作。超よかった!!
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