友達は選んだ方がいいという言葉の残酷さ

ちょっと湿っぽい話なので「続きを読む」に隠しておきます。


先日観たばかりの「女の子ものがたり」の中でこんなシーンがありました。


車で山奥に連れて行かれたけれど置き去りにされてしまった"菜都美"と"みさ"と"きみこ"が下山後に警察に補導され、3人それぞれがそれぞれの親に引き取られるシーンがあります。別れ際、ちょっとバツが悪そうに、でも一晩中遊び歩いたり、服を着たまま銭湯に特攻して怒られたりというちょっとした悪事を共有して楽しんだという楽しさからか、小さく笑いながら目くばせをして別れるのです。



わたしはこのシーンがものすごく大好きで、「何だかこういう友達関係っていいなあ」と思って見ていたのですが、その直後その3人の別れの様子を見ながら菜都美の母親が「なっちゃん、友達は選ばんとあかんよ」と菜都美に言い聞かせるのです。
みさもきみこもあまり恵まれた家庭ではなかったこともあって、小学校時代は同年代の男子からはいじめられ、女子からは無視されていました。そんな彼女たちの風評は高校生になっても変わることはなく、おおよそ周囲からは見下される立場にあるようでした。


菜都美のお母さんにしてみたら、自分の娘が悪い友達に影響されてこんなことをしてしまったという思いがあったのだろうし、実際にみさときみこがバカな男にホイホイ着いて行ったのに付き合ったせいでこんな目にあったわけですからあながち間違った意見ではないのです。
でもわたしはこの一言を耳にした時にものすごい不愉快な気分になってしまい、心底悲しい気持ちにさせられました。


ただ、わたしも2児の親なので菜都美のお母さんがそう言ってしまう気持ちは分からなくもありません。
例えば、ハホ*1やアオ*2には天山みたいに後ろ髪が長くて髪が茶色い男の子と仲良するよりも、品行方正で無茶なことはあまりしなそうな友達と付き合って欲しいと思ったりもします。
それでもわたしはどうしてもこの言葉が許せませんでした。いてもたってもいられないほどに心がザワザワしたのです。


なぜここまでこの言葉に反応してしまったのかは映画を観ているときには分かりませんでしたが、たぶんあまりに登場人物に入れ込み過ぎたのかなとその点ちょっと反省しながら鑑賞しました。


その数日後。20年ぶりに「車輪の下」を手にとって読んでいたのですが、その中のあるシーンを読んで高校生の頃に似たようなことがあったことを思い出し、そしてなぜ菜都美の母親の一言にあれだけ動揺してしまったのかを思い出しました。
車輪の下のあるシーンとは、ハンスが校長先生にハイルナーと仲良くするのを止めろと叱られるシーンでした。


わたしが高校生2年生の頃。
当時、卒業後の進路を決めないといけない時期がきていてさてどうしようかと頭を悩ませていました。
物理と数学は大好きでしたがそれ以外の教科は興味もなければ点数もまったく冴えなかったので、とりあえず物理学科に行こうかなとぼんやりと考えていました。
物理以外に特段こだわりがあったわけではないのですが「大都市には行きたくない」と思っていたのと「私立はお金がかかり過ぎるから無理」とも思っていたので、おのずと道は限られていて気付けば候補は3つほどに絞られていました。とりあえずそれでいいやということでそれを進路希望調査票みたいな資料に書いて提出しました。


そしてその一ヵ月後くらいから、提出した進路希望調査票を元に担任の先生との面談が始まりました。担任と本人なので二者面談って奴です。
その頃、前に「思い出してしまう曲」でも書いたのですがアナーキー志向だったわたしはちょっと遅れてきた反抗期を迎えていて、担任とは仲がよくなかったためにいったい何を言われるのかと冷や冷やしていました。


放課後、呼び出された場所に行って座ると「これどういうつもりなの?」という言葉で話が始まりました。
どうやら「今の状況だとこんなところ受かるわけないのに何でこんなこと書いたのか」ということらしく、たしかにそうだよねと思いつつ、でも希望なんだからいいじゃんと憮然としながら話を聞きました。


聞くと、どうやらわたしには問題点が大きく2つあるようでした。

    1. 国立大学はセンター試験があるのである程度全教科を網羅できないと受からない
    2. 目的意識が足りない


ひとつ目については、わたしは地理とか歴史、あとは国語といった系統の教科があまり好きではなくて学校の定期テストでも大体60点前後しか取れないくらいの苦手科目でした。
国語は現代文が好きだったのでそれはよかったのですが、古典も漢文も苦手でいつもテストは散々でした。古典の作者を問う問題が出れば紫式部吉田兼好を交互書いてごまかしていたし、漢文は漢字から雰囲気を読み取ってそれっぽい解答を書く能力を磨いてその場その場をしのいでいましたがやはり結果は芳しくありませんでした。
そういった科目を克服しないと全然ダメ、という叱咤でしたが、暗記科目はそれまでに克服するつもりだったのでとりあえずこれは聞き流していました。


で、もう一個の方の「目的意識が足りない」というのは、どうやら普段のわたしの態度がかなり気に食わなかったらしく、もっと目的意識をもって生きろと大層怒られました。今振り返ってみると、進路相談をしにいったのにいつの間にか生活態度を叱られているのは何だか間違っているような気もするのですが、しばらく話を聞いているうちに「普段の態度がいい加減なんだから進路希望も適当なんだろう」というようなことを言いたいのだということに気付いたのです。
進路についてはたしかにこれでいいやと決めた部分もありますが、でも自分の希望や家庭の事情をしっかり加味して考えて決めたという自負があっただけにとてもカチンときたのですが、一方で、でもそういわれるのもしょうがないかも知れないという思いもあって何も言い返せませんでした。言えないばかりかとても落ち込んでしまいました。あれから10年以上経ったのですがそれでもこのときの落胆の強烈さは覚えているくらいですから、たぶんその時の落ち込み方は相当なものだったと思います。


結局、進路希望は出しなおすという約束をさせられて面談は終了。
散々言われ続けたわたしはもう本当に嫌な気分になったのですぐに部屋を出ようとイスから立ち上がり出口に歩き出したのですが、そんなわたしの背中に向けて、突然「お前、友達は選べよ」という言葉が投げかけられました。
最初は何を言われたのか分からず立ち止まって考え、それからものすごい勢いで担任のところまで走って戻って机を叩きながらその発言に対して怒りを表明しました。大声を出しながら、なぜだか分からないけれどものすごい勢いで泣きながら怒り続けました。高校生活で唯一、人前で泣いたのがこの時でした。

卒業式は終わってから隠れてこっそり泣いたし、大好きだった子に彼氏がいると知ったときは家に帰ってからさめざめと泣いたので、誰かの居る前で泣いたのはこの時だけです。

こんなふうに一瞬で理性が吹っ飛んだ経験は後にも先にも記憶になくて、今思い出しても本当に自分のとった行動とは思えないくらい感情が爆発してしまったのです。


それ以来、さすがに懲りたのか担任はわたしに同じ言葉を投げかけることはありませんでした*3


その当時、友達を選べという言葉にわたしがなぜそこまで激高したのかと考えてみたのですが、自分が選んだ友達、自分を選んでくれた友達との関係を否定されることがたまらなく不愉快だったのだろうと結論付けていました。大事な友達をけなされることがどんなに辛いことか分からない大人なんてロクなもんじゃないと思ったのです。


で、いま改めてこの発言について考えてみたのですが、やっぱりひどい言葉なんですよね、これって。
しかも、当時わたしが理解していた以上にひどい。

100歩譲って、彼はもしかしたら「今いる場所よりも上を目指して頑張れ」という激励をこめてこの言葉を投げ方かも知れません。わたしは彼じゃないからどういうつもりだったか分かりませんが、できれば彼にはそのくらいの善意があったうえでの発言だと思いたいです。

そして相手がこの発言を放った意図はどうであれ、結局否定されてるのは言われたわたし自身であるということをきっと先生はわかってないんだろうなと思います。

お前の親はクズだと言ってその子どもであるお前もダメな人間だと暗に批判するのと一緒。相手の現状を否定するんじゃなくて相手の信念だとか考えだとか生き方といった根っこの部分を含めた全否定なのです。


当時、わたしがこの言葉に極端なほど拒否反応を示した理由はもう分かりませんが、もしかしたらその言葉の醜悪さを無意識のうちに感じ取ったのかも知れません。でもそうだと考えると、このキレっぷりは異常にプライドが高かったわたしらしい反応だなと納得出来るのですが、でもまあ実際がどうだったのかなんていまさら分からないんですけどねー。


何だか何を書きたかったのかさっぱりまとまらないのですが、わたしは子どもたちが中学生・高校生と大きくなったときに「友達は選べ」なんてことえらそうに訓ずる大人にはなりたくないなと思うし、本当にそんなことを言わなかったかどうかについては20年後の子どもたちに聞いてみようと思います。

*1:長女

*2:次女

*3:実はその後、保護者面談だか電話だかで母親に対してはまったく同じ内容を言ったことがあるらしく、大学に入ってしばらくしてから母親からそのときの話を聞いてとても脱力しました。