おとなの進路教室。

おとなの進路教室。

おとなの進路教室。


ウェブで公開中の「おとなの小論文教室。」の書籍化第4弾。この連載が大好きで、毎週水曜日(更新予定日)は楽しみにしています。


特にLesson12から始まる「勉強?それとも仕事?」は自分自身の行為、考え方と照らし合わせてみるだけでも面白いチャプターです。
自分が今している「仕事」と思っているこの作業は果たして本当に仕事なのか?それとも勉強の延長上にあるだけなのか。言い替えれば、今やっている事が他の誰かの利益に繋がっているのか?という事なわけですが、これがまた分からない。分からないと言うか自信が持てません。

勉強は必要だ。
でも、それよりも大事なのは、
ちゃんと「仕事をすること」だと、
冒頭の編集者さんの言葉は警鐘を鳴らしている。

焦って、「勉強しなきゃ」とおもうとき、
その前に、「仕事」はしているか? と問うてみる。

ほぼ日刊イトイ新聞 - おとなの小論文教室。

ここを呼んでいるととても不安を感じるのです。自らの成長と他者への貢献は決して独立した事ではないので完全に切り離す事は出来ませんが、心のどこかで「仕事」をする事よりも「勉強」して「自分が成長」する事を優先しているんじゃないかと言う不安が沸いて出てくるのです。


このあたり、まだうまくまとめられないのですが自らが生み出す利益が見えにくいのも一つの要因としてあると思います。お金でもサービスでも何でもいいから自分のしていることが対価を得ていることだという実感を感じられる部分があるか、ないか。その部分が私は極端に欠けている気がします。それをあえて得るためには何をすればいいのか。今の環境では結構難しいなというのが率直な感想です。


また、このチャプターのまとめでズーニーさんはこのように書かれています。

いまの人に、「自己肯定感」が育たない、というが、
それも、そのはずだと思う。
外に目が行かないとなると、
様々な不安や憤りも行き場を失い、
結局は、「自分」以外に責めるものは、なくなるからだ。

ほぼ日刊イトイ新聞 - おとなの小論文教室。

「自分自身を肯定する力は、外の世界(他者)と積極的に関わる事でしか見えてこない」、というのを私なりに言い替えてみると外部から受けた反作用でしか自分の本当の姿は分からないという事と等価なのだと理解します。つまりは作用反作用の法則そのものなのです。
観測対象(ここでは自分)の姿・動作を理解するために対象に対して何らかのアクションを起こし、そのことへのリアクションを観察することで見えてくる姿が対象の観測しうる姿なのです。
私自身、あまり積極的に話しかける方ではありません。そしてここに書かれているように自己肯定感は高いとは思えません。
この二つの事実の間にたしかな相関があるならば、すぐにでも変えたいし、変えていかなければいけないと感じています。


本書に限らずですが、おとなの小論文教室はズーニーさんの文章と読者からの反応で構成されています。そのため、ズーニーさんの考えという骨格に読者の実体験といった肉付けがされているのがとても分かりやすいのです。この読みやすさ、分かりやすさがあるからこそ何年も読み続けられるのだと思うのです。