- 作者: 香山リカ
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 2006/11/01
- メディア: 新書
- 購入: 3人 クリック: 19回
- この商品を含むブログ (85件) を見る
いわしの頭も信心からとはよく言ったもので、世の中には「こんなの信じちゃうの?」みたいなものをありがたく信じてしまう人が少なからず居るようです。新興宗教にはまる人もしかり、私にとっては江原さんなどがその最たるもので、何でこんなに多くの支持を得ているのかさっぱり理解出来ません。
# ちなみにうちは両親共に江原教の信者です(笑)
# オーラの泉を楽しみにしているようです
香山さんが本書で指摘している
-
- 現世利益に直結している
- 心から安心できる存在(移行対象)の必要性
- だまされてもいいからいい気分になりたい
→ 希望に飢えている
-
- 個人の内的思考の極地
あたりは非常に面白い見解だと感じました。「騙されてもいいから...」というと言い過ぎ感が漂いますが、多少の誤りがあってもそれがポジティブな気持ちにさせてくれるのであればいいってのは何となく分かるような気がします。「あるある大辞典」だって、それっぽい雰囲気 + 一見正しいように見える実験 + 科学的に...という嘘をうまく使って、「単に納豆食べるだけ」で「無理なく楽に痩せる」などと、いい気分にしてくれたわけです。そう考えると、「こちらが何を言いたいか」よりも「相手が何を言って欲しいか」がちゃんと言えれば相手からの信頼を勝ち取る事はそれほど難しくないのかも知れません。
# 江原さんの出てる番組をまともに見たことがないので自分で判断は出来ませんが...
でも個人的には相手が何を言って欲しいか分かってしまった時点で、私はそれを絶対に言いたくなくなるのです。そういう答えを強要されるのって何かすごい嫌じゃないですか? 私は絶対に嫌です。
学生時代の同じ研究室だった人で会話が常に自己完結している人がいまして、この人の会話には他人が要らない。常にその人の発声した内容でほぼ完結してしまうのです。その癖、他の誰かに問い掛けるものですから聞かれた方はそいつが望んだ答えを返さざるをえなくなるのです。なぜって、言葉を発した当人が完結させてしまった話なので「へぇ〜」とか「そうだね」としか返す言葉が見つからないからです。だから私は彼と話すのがとても苦手でしたし、話したくありませんでした。
って、こんな話を最近どこかで見たな〜と思ったらズーニーさんとこでもそんな話が出てました。
コミュニケーションが自由かどうかは、
返事を「選べる」かどうかにかかっている。人は「選びたいんだ」と思う。
そうとうに追いつめられた状況でも、
限られた選択肢であっても
それでも、返事の立場を選んだり、
タイミングを選んだり、
自分の自由な意志で返事を選びたい。その自由を奪われるとなんとなく不快になる。
たとえそれが、「ありがとう」というような
よいものであっても、
こどもながらに、強要されるのでなく、
ありがたみがわきおこってから
自分の意志で、自分の言葉で、言いたかったんだと思う。返事が1つしかないところに人を追い込んではいけない。
ほぼ日刊イトイ新聞 - おとなの小論文教室。
いつもの事ですが話がずれてしまいました...。
グダグダになりそうなのでここでまとめますが、人の心を掴むためには相手が何を言って欲しいのかをキャッチして、それを相手が受け入れやすい形で発信するのがいいんですね。言うのは簡単。でも私には難しい...。