超一流の詐欺師ニッキー(ウィル・スミス)は、30 人もの腕利き詐欺師を束ねる犯罪集団のトップ。ニッキーは、とある高級ホテルのレストランで女詐欺師ジェス(マーゴット・ロビー)と出会う。ジェスは、ニッキーを騙そうとしたものの逆に彼の詐欺テクニックに魅了される。結果、彼の一味に加わったジェスは詐欺師としてメキメキと頭角を表し、やがてニッキーの信頼と愛情を得るようになる。しかし、最後の大きなヤマに勝った後、ニッキーは姿を消してしまう…。数年後のブエノスアイレス。ニッキーはモーターレースに一世一代の詐欺プロジェクトを仕掛ける。しかし、彼のターゲットであるレーシング・チームのオーナーの隣には見違えるほど美しくなったジェスの姿が。果たして、ニッキーは大金うごめくモーターレースの世界で見事、キャッシュを手に入れることができるのか?そして、大富豪に近づくジェスの真の目的とは?
『フォーカス』作品情報 | cinemacafe.net
他人にお金や物をだまし取られたらすごく嫌だし、平気な顔して嘘をつかれたら不愉快になるのは当然の感情だと思っていました。
つまり一般的には「だまされてうれしい」なんて思う人はいないはずだとずっと思って生きてきたのですが、映画や小説に触れるときにはみんな積極的にだまされたがっているんじゃないかということを最近考えています。たとえば「驚愕のラスト5分」という売り文句が付けられた映画は明らかに「この映画はラスト5分まではみんなのことだます気満々だからね」という意思表明であり、これを見るということはだまされたいと思っていることと同義であるといってもまったく違和感はありません。
ところがこんな「だましますよ」というメッセージが観客を映画館に呼び寄せる訴求になるくらいには魅力的な売り文句だとわたしも感じますし、これと似たような話で「予想外の展開に2回、3回と読みたくなる」なんていうどんでん返しを彷彿とさせる小説も少なからず書店で見かけまして、その宣伝文句も読み手の興味をつよく引くキーワードだなと感じます。
で、なんでそう思うのか?と考えてみると、これって要は「わたしのことを気持ちよくだまして欲しい」ってことなんだろうなーと思うんですよね。
冷静に考えると「気持ちよくだましてほしい」というのはすごく不思議な感情だと思うのですが、本作を見てみたらこんなふうに「気持ちよくだまされたい」と思う気持ちに共感をおぼえるシーンがいくつもあってちょっと未知の自分を発見した気分になりました。
本作でもっとも好きなシーンは、NFLを観戦しに行って2人で賭けをして遊んでいたニッキーとジェスが、近くに座っていた男性と即席の賭けをすることになるシーンです。
最初は10ドル程度の安い賭けだったのに、気付いたら何千ドル、何万ドルの賭けになってしまい、しかもニッキーが負けこんでしまってついには絶対に手を付けてはいけないと言われていた儲けたお金にまで手を出してしまうのです。相手をだますことに関しては天才的だったはずのニッキーを手玉にとるこの男はいったい何者なのか?という、たいへん心躍るシーンなのですが、ここのやり取りが大好きな「嘘喰い」のようで非常に興奮します。
賭けごとと言えばカードやさいころを振るようなゲームで勝ち負けを競うことを何となく想像してしまいがちですが、即興でその場で目に入ったは何でも賭けの題材になるということをこのシーンは教えてくれましたし欲しいものはすべてギャンブルで手に入れるというあたりもまた嘘喰いのようでグッときました。
そういえば「相手が自分を食べようと口を開けたときが一番のチャンス」というのは誰が言った言葉なのかわかりませんが、とどめを刺しにくるときというのは勝ちを確信しているときでもあるがゆえにたしかにもっとも油断しているときでもあるんだなということを実感できる展開も非常に気に入りました。
とりあえずあのギャンブラーを題材にスピンオフを撮って欲しいです(無茶振り)
@MOVIX宇都宮で鑑賞
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