平等に扱われないことに対する怒りはとても根深いというお話

日曜日から続いていた体調不良が水曜日にはすっかりよくなっていたのに、水曜日から行った泊りがけの出張の疲れで改めて体調を崩しているいとっとです。神戸は楽しかったんですけどね。

移動の疲れもあって木曜日の夜はまったく動く気にならず走る予定がつぶれてしまいました。日曜日からずっと走っていないので体がすごくなまっているし体調不良もぜんぜんよくならないし、週末のかすみがうらマラソンは果たしてちゃんと完走できるのかどうかも不安です。

とりあえず今日と明日はゆっくり休んで日曜日は元気に走りたいです。


と、そんなわたしの近況はさておいて、今日ふと思ったことをつらつらと書こうと思います。


世の中の大抵のことは平等ではないというのはそこそこ年を重ねた人であれば当然知っていることだと思います。

裕福な家庭に育ち、最初から多くのものを手にしている人がいる一方で、十分な教育を受けることもできず生まれ持った才能を伸ばすことができない人もいます。これはもうどちらがいいとか悪いという話ではなく、世の中で行われている大半の競争は「よーいドン」でスタートラインからゴールに向かって走りだすようなものではなくて、スタートしたと気付いた人からそれぞれが気になる方向へ好き勝手に走りだすようなものだというだけなのです。

しかも自足で走る人もいれば最初から車をもっていてそれに乗って走る人もいるし、場合によっては自力で走ることができない人もいるかも知れません。そのくらいまったく平等ではない環境で競争しているのがこの世界なんです。先天的な不平等が生じることそれ自体はしょうがないことだと思っているししょうがないことだと諦めているのですが、でもだからこそ他人に接するときにはなるべく平等に接したいとわたしは思っています。

相手の立場や思想に左右されずになるべく他者にはフラットな態度で接したいし、他人との関係は常に同等な関係を前提として結びたいというのがわたしの理想です。普段からなるべくそういうことを念頭に置いて日々を過ごしています。


で、ここでやっとタイトルの内容になるんですが、今日は「ある人」と「別のある人」の会話を聞いたときにものすごい腹が立ったのです。

内容自体は何てことのないものなんですが、その「あるの人」の話し方というか「別のある人」に接する態度がわたしに対するそれとぜんぜん違っていたのです。わたしにはあんなに偉そうにいろいろ言ってた人が、別の人に同じことを話すときにはものすごく言葉を選びながら話しているのを聞いてたらここ最近記憶にないほど腹が立ちました。

たぶん今年一番腹が立った瞬間だったと思いますが、とりあえずその場では何も言わず、顔にも出さず(たぶん出てなかったはずw)、そのまま仕事をしていました。


わたしはものすごくしつこい性格なのでもう二度とその人とは心を開いて話す気にならないだろうなと思いつつ、でもいつも似たような態度をとられることがあったのになんで今日はこんなに腹が立ったんだろう?というところがよくわからなくて少し戸惑ってしまいました。いまもちょっとよくわかりませんが、あんなに露骨に自分と他人で態度を使い分けているところを見てしまったらもう許せないと思ったんですよねー。


わたしも同じようなことをしてしまわないように気を付けます。