「ダイバージェント」見たよ


近未来―。人類は、たった一度の性格診断テストにより、5 つの共同体(ファクション)に振り分けられた:勇気ある者が集う、勇敢(ドーントレス)、正直者が集う、高潔(キャンダー)、思いやりのある者が集う、無欲(アブネゲーション)、優しい者が集う、平和(アミティー)、知的な者が集う、博学(エリュダイト)。しかし、この5つに該当しない性格を持つ者が出現。それは“異端者(ダイバージェント)”と呼ばれ、その未知なる力をめぐって強大な陰謀が動き始める。

『ダイバージェント』作品情報 | cinemacafe.net


ある年齢に達した男女は性格診断を受けて自身の適性を調査し、その結果を受けて5つの共同体のいずれに属するのかを決める。
そして、その選択以降は血縁で結ばれた家族という共同体ではなく選択した共同体を最優先してその共同体の中で生きていくというのが本作の基本ルールなのですが、この作品の予告を初めて観たときにこれはなかなかおもしろいなと感心しました。

というのも、いま現実の世界では結婚する人が減ってきていると言われていますが、これまでこの世界を構成する最小の共同体として家族という形がもっとも一般的だったのですが、では果たして本当に家族という形がベストなの?と考える人が増えてきていることも関係しているのではないかとわたしは思っています。

他の構成員(親とか子とか)と価値観を異とすることなくすんなり馴染める人はよいのですが、流動性がまったくないがゆえに、合わない人にはとても息苦しい場所となってしまいます。もちろん簡単には壊れないそのつながりの強さこそが家族のよさだというのはそのとおりだなと思うのですが、定年まで同じ会社で働くことが当たり前ではなくなった現代においては自分が身を寄せるコミュニティにもうちょっと流動性があってもいいと考える人が増えるのは自然なのではないかと思うのです。


人間から帰属意識が消えることはないと考えると家族に変わるコミュニティが必要となりますし、上述したようなことについてもっと考えていくと近未来においては血縁ではなく同じ価値観をもつ人、同じ能力を有する人たちを集めた共同体が家族の代わりに登場すると考えるのはとても自然な発想だと感じたし、近未来という設定にリアリティを与える考え方だなといたく感心したのです。すごくいい!

ただ、一方では人間を区分する区分けがわずか5種類しかないという点にはやや不安をおぼえていて、もしかしたら4種類しかない血液型ですべての人の性格を判断しようという血液型占いと同レベルの類型にしかならないのではないかとも思っていました。
というのも、わたしはB型なのですが、それを言うたびに*1「ああ、やっぱりB型だと思ってた」としたり顔をされてたいへん不愉快な思いをすることが多いのです。

血液型占い好きな人ってB型をバカにするのが好きな人が多いのでなんかもうむかつくんですよね。


と何だか話がずれてしまいましたが、不安な要素はあるもののは設定はすごくおもしろそうだったので楽しみにしていたのですが、全体としてはいい部分よりも残念だと感じる部分の多い作品でした。

冒頭の設定に関する説明に始まり、シェイリーン・ウッドリーが親の期待に背いて自分の進む道を選び取ってそこで生き残りをかけて頑張る姿を描いたところまではおもしろかったのですが、それ以降のグダグダっぷりがあまりにひどくて笑うしかありませんでした。

ひどい...ひどすぎる(笑)


5つの共同体のうち、高潔と平和の2つは完全空気で存在感ゼロでまったく話に絡んでこないし、残りの3つもその共同体の強みを活かしているとは言いがたくて非常にもやもやします。自分で選べるという点はともかく分類としては血液型占い並みにしょうもない分け方です。

しかもいずれの共同体にも所属しない人たちの存在が途中で明らかにされるのですがこんなに思わせぶりな紹介のされ方をしていたくせに、それがまったく活かされていないというか、まったく何も起きません。これはもう続編のお楽しみに...ということでしょうか?


主人公の成長譚として観てもすごく中途半端だし、ヒューマンドラマとして観ても何だか感情を揺り動かす力が弱すぎてまったく心が動きません。ご都合主義な展開がすべて悪いというわけではありませんが、それにしたってもうちょっと細部の粗を隠して欲しいなと思いました。


@TOHOシネマズ宇都宮で鑑賞



公式サイトはこちら

*1:わたしが自分から血液型をいうことはなくてすごく血液型のことを気にする人に質問されてしぶしぶ言わされることが多いのです