奨学金問題は名前の問題ではないと思う

奨学金について話題にのぼっていたのでちょっとだけ。


今日のお昼にこんな記事が出ていました。

4月28日の番組では、冒頭で「奨学金が返せない!?」と題し、奨学金滞納が増えている現状、返還が難しい人への救済策などを取り上げた。実際に日本学生支援機構から有利子の奨学金を借りた若者への取材などを通して、同機構の奨学金制度や救済措置の問題点も指摘した。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140430-00000001-resemom-life

番組は見ていないので何ともいいがたいのですが、放送された内容に奨学金に関する正しくない情報・指摘があったために機構側が反論したということのようです。反論内容だけを読んで判断するのは早計かも知れませんが、読む限りでは番組内の情報に瑕疵があったんじゃないかなという印象を受けます。

番組側からも反論があるでしょうしそれについては続報を待つことにして、今回トピックとして挙げられている奨学金の滞納が増えているという話はわりと前から話題にのぼっていたので知っている人も多くいると思います。


この定期的にあがってくる話題に対して、はてブではよく「奨学金は返さなくていい給付型のサービスを指すのだから貸与型の奨学金は学生ローンに名前を変えるべき」という主張を見かけます。個々に紹介はしませんが、今回のエントリーのブクマにもそのような意見は散見されます。

この主張そのものにはまったく反対はしませんが、「返済できない人がいて困っている」という問題を解決するためにどうすべきか考えているときに「名前がよくない変えるべき」という意見は的外れ以外のなにものでもないとわたしは思います。「実態に合わせた名前に変えましょう」は正しいですが、でもそれは今すぐじゃなくてもいいよね?とわたしは思うわけです。


でもそんな何の意味もなさそうな名前を変えるべきという意見を主張する人はいつまで経っても後を絶ちません。奨学金の話題になるといつも必ずその意見が出てきます。


奨学金とは名ばかりの学生ローンは名前を正すべき」


決定的な解決方法でもない、すごくどうでもいいことだとしか思えないような意見を繰り返し主張する人たちの意図がわからなくていつも不思議でしょうがありませんでした。

もし奨学金を学生ローンに名前を変えたらすべて解決する、もしくは解決の糸口になるならそうすべきだとわたしも思います。

でも名前を変えても何も変わらないしだったら名前なんていまはどうでもいいじゃないですか。いまわれわれの目の前にある「奨学金を返済できずに困っている人をどうすべきか」「今後奨学金に頼らなければ進学できない人をどうすべきか」という問題に対して、まったく無力な名前にこだわるその意図が理解できなくて何言ってるんだと思っていました。


で。


今日、仕事から帰ってくる途中でこのことをあれこれ考えながら歩いていてふと思ったんですが、もしかして「奨学金という名前だと給付されるものだと勘違いする==返す必要があることを知らずに借りてしまう人がいるかも知れない」と言いたいのかなと思い至ったのです。さすがにそんなくだらないことではないだろうなとも思ったのですが、全員ではないにしてもそう思っている人がもしかしたらいるかも知れないなと思ったのでとりあえずそれについて書いてみることにします。


まず、奨学金を受けている人がそれを借金だと認識していない可能性はほぼありません。
申し込む時点で借り受ける総額や返済について書いてある資料が配られて読んでいるので、知らないということはありえません。さらに無利子か有利子かを選択しなければならないわけですから、それが借金であるというのは嫌でも思い知らされます。わたしは大学院の2年間で200万円を借りることにしたのですが、卒業したら働いて14年かけて返すんだということは最初から覚悟していました。


なので、奨学金の名前がどうであれ返済する必要があることはみな知っています。

一点例外というか、わたしよりも5歳くらい年上の人たちくらいまでは卒業後に教職・研究職に就いた場合に返済が免除されたと記憶しています。わたしが借りたころにはもうその制度は廃止になっていたと記憶していますが、中学、高校のときの先生からは大学時代に借りてた奨学金が免除になったという話を聞いたことがあります。そういう話をおぼえていて、卒業後の進路次第では返さなくても済むぞと誤解している人はいるかも知れません。

わたしの学部時代の友だちにもそういう人がいて、その制度が廃止になったと知ってがっかりしていました。


話が少しずれちゃいましたが、奨学金が返せないという問題の本質は名前ではないというのがわたしの言いたいことです。
名前が正しくないのはそのとおりですが、本質ではないのでそんなのはあとでいいです。


もし「奨学金はすべからく給付型にすべき」というのであれば、財源確保や貸与型と比べた場合のメリット/デメリット比較をすればいいだけですし、そうやって議論を重ねていく中でより良い形になっていけばいいんじゃないかと思っています。名前を変えるのはそのあとでいいじゃないですか。


ただ、わたしが考えるこの問題の本質は奨学金自体にあるのではなく、教育にかけるコストを誰が負担するのかという点にあると思っています。そしていま直近で考えなければならないのは「いま現在既に奨学金を返せなくなっている人をどうするのか?」という問題、そしてもうひとつは「これから学ぼうという人をどう支援するのか?」という問題の2つです。

前者は「収入や労働状況を鑑みて返せないようであれば免除してしまう」、後者は「学費を安くする(公立・私立問わず)」がいいんじゃないかなとわたしは思っていますが、かなり長くなったので今日はここでおしまい。