憧れる気持ちと好きになるもの

先日、アメリカのハイスクールにおける身分格差がすごいという話題が上がってました(この記事)。
アメリカの事情については知らなかったのですが、自分自身の経験に基づいて考えてみると、学校という場所にヒエラルキーが存在するなんてことは当たり前でしてそれは日本でも珍しいことではないと感じました。
そんなわけで、アメリカでもそうだと聴いても特に驚きは感じなかったのです。スクールカーストっていう言葉も聞いたことがあったので、まあそりゃあるとこにはあるでしょうよと。


ところが、今回のこの2chのまとめ記事を読んでみるとこれがもう想像を超えてものすごいことになっててびっくりしちゃったのです。
スクールカーストというのはまさにカースト制度そのもののような絶対的な身分格差であり、わたしが想像していたような「立場の違い」程度のヒエラルキーとはけた違いなんです。


で、このヒエラルキーのトップに君臨するのがジョックと呼ばれる人たち。

# ここから抜粋


このピラミッドの形が人数の構成比に直結しているわけではないらしいですが、でも大多数の人たちが一部の人間によって支配されている状況というのは社会の縮図のように見えるし、何だかとても悲しい気分になります。


そういえば...と改めてわたしが観たことのあるアメリカのハイスクール映画について思い出してみると、どれもジョックが主人公なんですよね。すぐに思い出すのは「ハイスクール・ミュージカル」「セブンティーン・アゲイン」ですが、両作品で主人公を演じるザック・エフロンはまさにこれぞジョックともいうべき役を演じています。つまりハイスクールを舞台にした物語というと、校内トップの人気者の日常を描いた物語なんです。
ジョックたちの悩みと言えば大好きな彼女や仲のいい友だちとケンカしちゃったとか、大学進学のための推薦が取れるかどうかとかそんな程度のものばかり。いずれの悩みも基本的には自分自身で完結する内容でしてそこに他者の意識が入り込む余地はほとんどありません。
他人の言動や行為に自信の行為や考えが左右されることはほとんどなくて、常に自己中心的に振る舞うことが許されている特権階級らしさがそこにはうかがえます。


学生時代のわたしはまったく目立つキャラでありませんでしたので、正直ういう「ジョック」に該当する人たちって好きじゃないんですよね。その傲慢さ、自己中なところなんかは本当に腹立たしくて、妬ましさも加わって死ねばいいのにくらいのことは言ってやりたくなります。
その一方で、これらの映画を観たときにわたしが感じたのは、そういった怒りの感情ではなくて支配階級の人間になることに対して憧れる気持ちだったんですよね。自分もその立場に立ちたいと願う気持ちや、そういった人たちの仲間に加わりたいという気持ちがふつふつと沸いてくるのです。


本来のわたしは、地味で目立たない人間なので同じような境遇の立場に共感を覚えます。例えばハイスクール・ミュージカルで一番誰が好きかと問われたら1秒と待たずにオレーシャ・ルーリンと答えます。



わたしは、彼女のようなちょっとした特技はあるけどでも特別目立つキャラではない(でも地味にかわいい)という女の子が大好きなのですが、他方ではジョックのようなヒエラルキーのトップに立つ存在に憧れる気持ちももっているわけです。


共感や同じ目線から見た好きという気持ちと、遠い存在と認めたものに憧れる好きという気持ち。
中身がまったく異なる感情に対して、どちらにも同じ「好き」という言葉で形容できる感情を感じるのは何だかとても不思議なことだなとふと感じたのでした。そしてひとまず、アメリカの高校怖いよ!というのも忘れないうちに100回くらい叫んでおこうと思います。

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