「ラブリーボーン」見たよ


14歳で殺害された少女・スージーが、天国から地上に残された家族や友人たちを見守り続け、この世と天国をさまよう姿を描いたスピリチュアル・ファンタジー。世界中の感動を呼んだ、アリス・シーボルドのベストセラー小説を『ロード・オブ・ザ・リング』のピーター・ジャクソンが映画化。主人公のスージーを『つぐない』のシアーシャ・ローナンが務める。

『ラブリーボーン』作品情報 | cinemacafe.net

TOHOシネマズ宇都宮にて。


日本には神隠しという言葉がありますが、これは突然人がいなくなってしまう不思議な現象の呼称として使われています。
いなくなるはずのない人が突如消えてしまうのは、「神域と呼ばれるわれわれの住む世界と別の場所に迷い込んでしまったからだ」ということを怖い本で読んだことがあるのですが、その真偽はともかくとして、この世界のどこかでポッカリと異世界への入り口が口を開けている様子を想像するととてもおそろしい気がします。
そしてわれわれが日常を送っているこの世界にこのような落とし穴があるように、生まれてから死ぬまで過ごす時間の中にも数え切れないほどたくさんの落とし穴が隠されています。不慮の事故に見舞われたり、病気になったり、変な人に付きまとわれたり、とにかくただ生きているだけなのにわれわれは理不尽なリスクにさらされていることにある日突如として気付かされるのです。


本作はそんな日常に潜んでいた落とし穴にとらわれてしまった女の子とその家族の喪失/再生の物語なのですが、スピリチュアルなのにリアリティも損なわれていないというとてもバランス感覚に優れたいい作品でした。テレビCMや予告の「感動」という売り文句は正直どうかと思いますが、死んでしまったスージーと残された家族が共に生と死の間に横たわる断絶に絶望を感じながらもその絶望を乗り越えて先に進む、つまり死んだものは天国へと旅立ち、生きているものは自分自身の人生を歩みだすプロセスに心が震えるような喜びを感じました。


わたしがどうしても忘れられないのが、スージーがハーヴィーに襲われたトウモロコシ畑に立ち入るシーンです。
スージーは大好きなレイとあわやキスをしそうになるのですが、邪魔が入って結局キスは出来ず、週末にデートをしようという約束を交わしてスージーは帰途に着きます。幸せで顔がほころぶ彼女が帰り道に選んだのはハーヴィーが待ち受けるトウモロコシ畑。
スージーが学校を出てトウモロコシ畑に差し掛かり、その目を畑の方へと目を向けたその瞬間、スージーの前には広々とした風景が広がります。トウモロコシ畑とは言え、冬なので視界をさえぎるものはなく、ただただ殺風景な土色が広がっているだけです。
このシーンを観たときに、その一見何もないように茫洋と広がって見える畑は「日常」をあらわすモチーフであり、そこに潜んでスージーを狙うハーヴィーの存在は「神隠し」のような日常に潜む落とし穴を連想させるものだと感じたのです。
このシーンのことを思い出すたびにご飯を食べる気力もそがれてしまうようなやるせない気分になるし、生きていること自体がとても空しく感じられるのですが、一方で、理不尽に何かを奪われてしまうという出来事にこそ、目を背けては通れない真実があるような気がしてしまいグッと唇を噛みしめてこのシーンのことを反芻せずにはいられなくなるのです。


ネットで見ているとあまり評判はよろしく無いようですが、わたしは本当にすばらしい作品だったと感じています。


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