「TAJOMARU」見たよ


時は乱世。八代将軍・足利義政萩原健一)の一言で、名門・畠山家の長男・信綱(池内博之)と次男・直光(小栗旬)の仲は引き裂かれる。そのお達しとは先に亡くなった大納言・阿古姫(柴本幸)を妻に娶り、財産を継いだ方に官僚職を授けるということ。焦った信綱は、直光の許婚である阿古姫を力ずくで自分のものにしてしまう。兄を敵に回し、追っ手を放たれる身に。阿古姫を連れ出し、山道へと逃げる直光。そこで彼が出会ったのは、大盗賊・多襄丸(松方弘樹)だった――。『羅生門』の原作としても知られる芥川龍之介の「藪の中」を原作とした小栗旬主演作。

『TAJOMARU』作品情報 | cinemacafe.net

MOVIX宇都宮にて。


ちょうど4ヶ月前のGWに、友達と遊ぶために訪れていた山形で偶然「羅生門」を鑑賞する機会に恵まれました。
モノクロの映像とドラやタイコが鳴り響く古めかしい音楽がいかにも昔の邦画といった雰囲気をかもしだしていてとても雰囲気のある作品だと感じました。また、この作品は登場人物もかなり魅力的でしたが、その中でもとりわけ強い引力を放っていたのが三船敏郎演じる多襄丸であり、その力強さあふれる存在感が印象に残りました。
そんな魅力ある多襄丸を小栗旬が演じるということで、かなり期待して鑑賞してきました。


まずはおおまかな感想ですが、意外にもとても楽しめました。
冒頭の学芸会さながらの演技にはかなり神経を消耗させられたし、小栗が盗賊の頭になるシーンの顔ぶれを見て「え?これってクローズだっけ?」と本気で心配になってしまったりした以外はある点を除いては踏み外しのないかなりストライクな作品でした。
時代劇でありながらもどこか現代っぽさが残された台詞や衣装、そしてラップ調のテンポで繰り広げられる酒宴のシーンからも分かるように、時代劇であることにまったくこだわっていないところなんかもすごくおもしろかったです。盗賊たちがかもし出す「真面目に働いたら負けでしょう」的な空気は、現代のニートとの対比として描かれているようでそのあたりの演出の面白さはとてもよかったと思います。


さて。上に「ある点を除いて」と書いたのですが、一点だけどうしてもこれはないだろう...というところがありました。内容に触れてしまうために詳しくは書きませんが、原作を読んだり、映画の「羅生門」を観た人であれば間違いなくびっくりする展開です。わたしはあまりに驚いてしまって笑うしか出来なかったのですが、あれはほんとうにがっかりしました。全然藪の中じゃないじゃん...。
上述のとおり全体的にはすごくいい作品だと思ったのですが、ここが決定的圧倒的にダメ過ぎたのが残念でした。


作品そのもののレベルはとても高いですし、原作の小説を読んだことがなくて映画も見たことがなければまず間違いなく楽しめる作品なのですが、いかんせんわたしはどちらも知っているんですよね..。原作も映画も何も知らずに観て、純粋に娯楽作品として楽しみたかったなという気持ちになりました。
どちらも未見/未読であれば、まちがいなくお奨めです。


以下、ネタバレ込みなので未見の方はご注意!!



上に書いたこの作品最大の問題点とは、物語の中に一切の疑問点が残されることなくすべてが語りつくされている点です。
これは当作品においては主題と明確に相反するものであるために目立っていますが、この「すべてが語られてしまうこと」自体は最近観た邦画がおもしろくない最大の理由であると感じているのです。大作と呼ばれる作品の多くがなぜこのアンチパターンにしたがってしまうのか、最初は不思議でなりませんでした。


ここで邦画と書いてしまいましたが、実は映画に限らず小説でもゲームでも同じでして、最近は物語に余韻や含みを残すことを嫌う傾向にある気がします。まるで物語を観終わったその後のことについては一切の疑問を残さずに終わらせることが絶対的でことであるかのようであり、多くの作品は作品の中で湧き出てくるすべての問いに対してすべて作中にて答えが出されています。言い換えればそれは分かりやすさ絶対主義なのです。


もちろん分かりやすさというのは多くの人に受け入れてもらえるために必要な大事な要素だというのはそのとおりですが、でも過剰な分かりやすさは想像力の入り込む余地を無くしてしまいます。そしてそれはとてもつまらないことだとわたしは思うのです。


ただ、これは単に作り手がよくないのかと言えばそういうことだけではないのだろうとも思います。
現代のように毎週のように新しい本や新しい映画、そして新しいゲームが出てくる状況では、ひとつひとつを吟味する時間をもつよりもそれぞれを適度に消費していく方がより多くの作品に触れることが出来て賢い選択であると多くの人が感じています。そうなると、それぞれの作品についてあーだこーだと議論を交わして解釈を考えるよりも、誰かがちゃんとした答えを出してくれたところで「それでいいんじゃない?」と同意形成をする方が効率的なんです。


で、現在どうなっているのかというと、作品を消化するために必要な労力を割いているのは作る側の人であるということなのです。
これって観るのは楽だけどそれってホントは楽しくないんじゃないのかなあと思う一方で、でも観る側にその作業を全部丸投げしたらしたで文句をいう人もいるわけで(わたし含む)そのあたりのさじ加減が難しいというのも分からなくはないんですけどね。


なんてこと最近の大作と呼ばれる邦画を観てて考えていたわけですが、でもまさかその「分かりやすい教」がこの作品にこれほど切実に反映されているとは思わなかったです。これがなかったらかなりフォロー出来たのに残念です。


[参考]


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