「車輪の下」読んだよ

車輪の下 (新潮文庫)

車輪の下 (新潮文庫)

南ドイツの小さな町。父親や教師の期待を一身に担ったハンス少年は、猛勉強の末、難関の神学校入試にパス。しかしその厳しい生活に耐えきれず、学業への情熱も失せ、脱走を企てる。「教育」という名の重圧に押しつぶされてゆく多感な少年の哀しい運命をたどる名作。

http://www.amazon.co.jp/dp/4087520218

20年ぶりに再読しました。
読もうと思ったのは先日「十五少年漂流記」を読んで思い出したからなのですが、前回読んだのは10歳のときだったためか話のほとんどを覚えておらず、非常に新鮮な気分で読了しました。おおよそのあらすじは知っていたのですが、作品全体から受ける印象はわたしの意識の中にあるそれとはまったく違っていて、悲壮感が漂ったりすることなく非常に淡々と一人の少年の歩みを描いていて引き込まれてしまいました。


本書から得られることというのは人それぞれさまざまでしょうが、わたしは「他人からの評価を自身の価値を判断する材料に使ってはいけない」ということをつよく感じました。
多くの人にちやほやされることは嬉しいし、身近な人にほめられることもまた嬉しいことです。特に褒められたいという欲求の強い幼少時は他者からの評価が行動の原動力になることが多いことは明らかですしそれ自体は決して悪いことではないのですが、一方でそうやって褒められて嬉しいと感じる気持ちだけが行動の原動力であり続けるというのはとても危険なことでもあるのです。
自らの行動の原動力を自身の中に持たず他人に依存してしまう人というのはエンジンをもたない車と同じであって、いつ動けなくなってもおかしくない状態にあることは自覚しておくべきだし、そうなってしまったときに急に自発的に動こうとしたところでそれは叶わないことは理解しておくべきです。


きっかけは他者依存なものでもかまわないけれど、最終的には自分自身が主体となって価値判断が出来る力を身につけることが大事なのだと本書から学びました。いうほど簡単じゃないけれどね。


いったいハンスはどうしたら死なずに済んだのか?
読み終わってからずっとそのことを考えていたけれど、考えれば考えるほど、ハンスはどうあっても若くして死んだのではないかという思いが消えずに残っています。
校長のいうとおり、ハイルナーという悪友を持たずに無難な友達を選んで付き合っていればよかったのかも知れないけれど、それでも果たしてあのペースで勉強を続けて常にトップを走り続けられたと仮定しても自尊心を満たし続けるだけのものを彼は得られなかっただろうとわたしは思うのです。


大事なのはそもそも彼自身がどうしたいのかという自発的な欲求がなかったことに尽きるだろうし、その点ハイルナーとの友人関係を持ち続けるという覚悟は彼自身の意思で選び取ったことであると考えるとこれは変化の兆しとも取れるのです。そしてこれこそ彼が生き残る可能性を見出せるチャンスだったのではないかという気がしてきますが、所詮は想像の域をでません。


わたしにとってはある程度年を重ねてから読んだ方が楽しめる作品でした。
こんなのを10代の頃に読んだって暗くなるだけで楽しめないよ...。