エディプスの恋人

エディプスの恋人 (新潮文庫)

エディプスの恋人 (新潮文庫)

「彼」の意識の存在に気づいた七瀬。ある日グランドでボールが割れた。それが異常の始まりだった。強い「意志」の力によって守られた「彼」の本当の正体と何故「彼」が七瀬の意識に影響を与えているのかを探ろうとする。そして…「彼女」の存在を知ることとなる。

エディプスの恋人 - Wikipedia

3部作の完結編であり、3作の中でもっとも理解に苦しむのがこの作品でした。
七瀬が事務職員を務める学校で、特異な存在感を示すひとりの学生について彼女が調べていくと...というお話なのですが、当初はあまりにいろいろなことが謎めいていていったいどうなるのかと非常にワクワクしていたところこれがものすごいところに着地するのです。
予想外も予想外。むしろ、最初に思いついていたけども「さすがにこれは無いよねえ」という感じで切り捨てていたような展開でして、非常にびっくりしてしまいました。ほんと、これでいいの?とも思いました。


でも改めて3部作をとおして読んでみると、過去の2作品とそれなりに通じる部分があるのです。
ただし昨日も書いたのですが、何が同じなのかという自分が納得できるものはまだ見つからなくて、その点はうまく言葉には出来ないのですが、わたしが現時点で唯一わかっているのは読後感がまったく同じだという点です。これが不思議なほど非常に似かよっているのです。
読んでいる途中からなんとなく生きる気力がなくなるというか、例え自分がどういう人間でどうがんばって生きたとしても結局はそんなものなのかみたいな諦観を植えつけられてしまいます。今生きていることに対して非常に無気力にされる本というのはたしか今までも何冊か読んだことがあるのですが、この3冊(特にこのエディプスの恋人はその傾向が強いのですが)はどちらかというと「人間としてこの世に生きること」そのものに対して非常に脱力させられてしまうのです。
私自身の否定ではなく、人間として生きることの否定といえばいいんでしょうかね。なんとなくそのような言葉がぴんとくるのです。


ちなみにエディプスというのは「3歳から5歳の子どもが異性の親に対して愛情を感じ、同性の親にライバル心を感じる状態のことをいう。」(エディプス・コンプレックスより抜粋)をあらわしており、この言葉はギリシア神話で実の父を父と知らず殺してしまい、挙句実の母を母と知らず交わってしまったオディプスが語源としているようです。


エディプスという単語の響きは非常にかっこよかったので、「おれ、エディコンなんだー」とか言ってみたい衝動に駆られたのですが、意味を知ってからは間違っても口にしないと心に決めたのでした。
世の中にはいろんなコンプレックスがあるもんですねー。