デスマーチについて考える(デスマーチ経験のエピローグ)

http://d.hatena.ne.jp/ksh/20060921/1158850336

デスマーチを招いておきながら「今はそんなこといってる場合じゃない」とモラルを無視したやりかたでプロジェクトを進めようとする、悪のマネージャやSE、現場も見ずに納期を決めるお偉いさんたちからプログラマを守る「正義の味方」

やはりコードがプログラマの手で書かれている以上、だれかがプログラマがモラルを保てる環境を守らねば、プログラマが自分を守るために、ちゃんとした仕事をすることをあきらめ、失敗を他人になすりつけ、逃げることだけを考えるのはあたりまえのことではないか。

しかし「正義の味方」を演じるのはむずかしい。実は、このプロジェクトに入ったとき、私はすでに会社に対しての信頼を失っていて、「辞める前に自分のやりたいようにやってみよう」と思って現場に入ったのです。

目先の問題ばかりを見続けてはまり続けるということはそれほど珍しいことではありません。私の周りにもよく見ますし、そもそも私自身もやってしまったことがあります。

外から見ている分には、「もっと根本的な対応をすればいいのに...」と思うことばかりなのですが、担当者にはそういうのは見えてないし、見えていても実際にやれないことが多いのです。
そういう時こそ管理する立場の人間の腕の見せ所なのに↑みたく、まずは目の前のことを...といわれてしまうと結局は根本解決は二の次三の次。
そしてそれに疲れた担当者が一人辞め二人辞め、気づくと誰もいないなんてことになって残された人にお鉢が回ってくるなんていうさらにひどい状況が生成されます。
ホント馬鹿みたいでうそみたいな話ですが、実話です。

こういった場合、物事を俯瞰できる立場にある人間の判断は往々にして現場にとって地獄の選択であることが多いです。全体を見渡して最適な選択すべきなのに、近視眼的に目前の問題解決に終始する人が多い。多過ぎます。大杉連。
ピーターの法則を普及させたいのか証明したいのかわかりませんが、驚くほどのダメップリを見せ付けてくれます。きっと能力に見合わない出世をしてしまった人が多いんでしょうね。


で、話を戻して正義の味方について。
結局、混乱している場で作り手であるプログラマをただ責めても誰も得をしません。あまりいい例ではありませんが、工場で機械が故障したといって機械を叩いても意味がありません。仮にそれで一時的に動いたとしてもそれにどれだけの意味があるのでしょう。通常であれば正常に機械を動かすよう努力するのではないでしょうか。


そういった意味で作り手が無用にストレスを感じない環境を作ることはとても大事な事だと思います。特に現場がごたごたしているのであれば尚更です。みなを落ち着かせ、作ることや直すことに専念できる環境を作ることが何よりも先決なのです。


当たり前のことだけど、そういうことが出来ない。
単に一個人ががんばるだけじゃ超えられない壁ですが、まずは自分が「正義の味方」になれるようにがんばってみようかと思います。