「メイジーの瞳」見たよ


NYに暮らす6歳のメイジー。アートディーラーの父とロック歌手の母が離婚、彼らの家を10日ごとに行き来することになった。メイジーは自分のシッターだったマーゴが、父の新居にいることに戸惑うが、元々仲良しだった彼女にすぐに打ち解ける。母が再婚した心優しいリンカーンも、メイジーの大切な友達になった。自分のことに忙しい両親は、次第にそれぞれのパートナーにメイジーの世話を押し付け、彼らの気まぐれに我慢の限界を超えたマーゴとリンカーンは家を出て行く。母はツアーに向かい、メイジーは独り夜の街に置き去りにされてしまうのだが…。

『メイジーの瞳』作品情報 | cinemacafe.net


浮気性の父とロックでワイルドな母という、どう考えてもうまくいくようには思えない両親をもつ6歳のメイジー
そのメイジーが不仲な両親やその両親の関係者、つまり身の回りの大人たちに振り回されている様を描いた作品でしたが、親の身勝手さや嘘に翻弄される様子は観ていてとてもかわいそうだったし、終始大人たちに腹の立つ作品でした。

「世界で一番愛しているよ」という両親に満面の笑みを浮かべて喜ぶメイジーですが、そんなことを言っておきながら父も母もいつもメイジーを他人に預けて自分のやりたいことをしに遠く言ってしまいます。父は仕事が忙しいんだとシッターにメイジーを預けて海外へと出かけ、母はツアーに行かなきゃと言って彼氏にメイジーを任せてあちこちへと旅立っていきます。

メイジーのことを世界で一番愛しているというのであればできるかぎりいっしょにいる時間を作ってあげればいいのに、メイジーのことはいつもおざなりにして自分がやりたいことを最優先しています。その結果、メイジーがどんなにつらいめにあっているのかを想像することもありません。


おそらく父も母もメイジーのことをさほど大事だとは思っていません。親権をとられたくないだけなのです。
「相手に親権をとられること==相手の思いどおりになる」ことを避けるためにメイジーに優しく接しているものの、結局本当に一番大事なのは自分自身だから言動が一致せずに発言とは矛盾した行動をとることになるわけです。


はたから見ればもはや毒親としか言いようのない両親なのですが、そんな親であっても6歳のメイジーにとっては大事な存在でしていっしょに過ごす時間はうれしくてニコニコしています。わがままを言わず、いつも親に言われたとおり従順に行動し、たとえいっしょにいて欲しいと思っていても離れていく両親を笑顔で見送るメイジー


観ながらそんな最低な両親に散々腹を立てていたのですが、ふと冷静になったときに「とは言っても自分もいうほどいい親じゃないよな」ということに気付いてしまい、じつはこの怒りや腹立たしさというのは単なる同族嫌悪なんじゃないかと思い至ってやや恥ずかしくなりました。

さすがにメイジーの両親ほど露骨ではありませんが、わたしだって常に子どもたちを最優先にしているかと言えばそんなことは無くて、映画を観に行ったり走りに行ったりとやりたいことを優先することはよくあります。むしろそれがほとんどです。

それはもちろん妻がちゃんと面倒を見てくれていることを分かっているからではあるのですが、でも程度の差こそあれ自分のやりたいことを優先しているという点においてはメイジーの両親とわたしは同じ穴のムジナなんじゃないかという考えが頭から離れなくなってしまいました。

「直感的に不快感をおぼえて忌避したくなるものは自分の嫌いな部分に似ていることが多い」というのがわたしの持論なのですが、まさにその持論のとおりの事例を目の当たりにしてしまいました...。ああ、なんてことでしょう。


そんなわけで途中からはメイジーと自分の子どもたちを重ねて見てしまいさらにつらくなってしまったのですが、最後の最後でメイジーが見せてくれた前向きな変化がとてもうれしくてそこで少し救われたような気持ちになりました。





@宇都宮ヒカリ座で鑑賞



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