舞台はハリウッド。セレブカルチャーとブランドにとりつかれたティーン・エイジャーたちが窃盗団を結成。ゲーム感覚で、パリス・ヒルトンなどセレブ宅に侵入し、盗みを繰り返すうちに彼女たちは制御不能に陥っていく――。
『ブリングリング』作品情報 | cinemacafe.net
フォーラム那須塩原で観てきました。
大好きなソフィア・コッポラ監督の新作ということでかなり期待してましたが、期待どおりの作品でしてたいへんよかったです。
ソフィア・コッポラ監督の作品を観るのは「ロスト・イン・トランスレーション」「SOMEWHERE」に続いてこの作品で3作品目ですが、どの作品も対象を丁寧に描くもののそこに具体的な物語を持ちこむことはあまりしません。時系列に沿って対象者の行動を描くだけで、明確な主張やら意図はこめられていないだけでなくてあえて排除されているとさえ感じるほどです。
だから退屈だという感想もよくわかるし、ソフィア・コッポラ監督の作品はぜんぶ大好きですがその作品すべてがよかったというつもりはありません。「ロスト・イン・トランスレーション」も「SOMEWHERE」も眠くなるシーンがたくさんありましたし、あそこで寝てしまう人を責めることは誰もできないと思います。
ただ、そんな退屈な日常、くりかえされる日々の中に一瞬のきらめきというか「こういう一瞬って忘れられないよな」とか、「こういう世界もあるんだな」という何かを見つけることが彼女の作品を観る醍醐味だと思うし、過去に観た2作やこの「ブリングリング」にはそういった喜びを感じることができました。
そしてその視点で作品を観ると、退屈な日常ってその一瞬に文脈的な意味を与えるために必要なのだと思えるしそう思うと観ていて飽きることもだいぶなくなります。
さて。
話を本作に戻して、この作品は有名人の自宅にくりかえし忍び込んで盗みを働いていた10代の男女の日常を描いた作品ですが、おそらく観ている大半の人にとっては理解しがたい人種でして観ていて「なんだこいつらは...」と思わず口に出そうになるほどひどい内容でした。
有名人の自宅に忍び込んで勝手に見て回って好き勝手に過ごして欲しいモノを盗んで帰る。
それだけでも意味が分からないのに、そうやって盗んだモノをクラブで自慢したり盗みに入ったことすら自慢してしまうのです。
そしてその悪行は一度ならず何度も何度もくりかえされます。どんなにバレそうになっても辞めずに。
ふだん自分が生活している範疇を眺めてみると、ちょっと変だなという人はいますが何ていうかみんな「話せばわかる人」ばかりです。
たとえお互いに譲れない部分があって意見がぶつかったとしても、やっていいことと悪いことの境界線は共有できています。
「人のモノをとってはいけない」
「暴力をふるってはいけない」
「他人の家に勝手に入ってはいけない」
ところがこの作品に出てくる人たちにはこういった「いいことと悪いこと」の境界がまったく一致せず、いわゆる倫理的な側面からわたしが判断するとアウトな人ばかりなのです。正直どれだけ想像力を働かせてもこの子たちの思考を理解することができません。
観ながらあまりに理解できなくて悩んでいたのですが、そもそも他者を理解できるなんて言えるのか?ということに思い至ったのです。
身の周りの人には言葉が通じるし、常識という共通認識があるために「とりあえずちゃんと話せばわかるだろう」と思ってしまいがちですが、そもそも他者と完全に分かり合えるなんてことはないわけで、そのことをすっかり失念していたことに気づいたのです。
変わり映えのない日々を過ごしていると、どうしても視野が狭くなって自分の知っている世界がすべてだと思い込んでしまいがちですが、世の中にはこういう理解できない人たちもたくさんいて、そうやって成り立っているんだなということをあらためて思い知りました。それがいいとか悪いとかではなく、事実としてそうなんだなということをしみじみと思い知らされながら最後まで観て帰途につきました。
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