「SOMEWHERE」見たよ


タブロイド紙を頻繁に賑わす俳優ジョニー・マルコ(スティーヴン・ドーフ)は、ハリウッドにある伝説的なホテル、シャトー・マーモントで暮らしている。フェラーリを乗り回し、ホテルで一緒に過ごす女性にも事欠かず、ふわふわと漂うように毎日を過ごしている。そんな中、前妻との間にできた11歳の娘・クレオエル・ファニング)が、不意にジョニーの前に現れる。クレオと過ごす時間によって、ジョニーは自分の現状を見つめ直し始めるが…。

『SOMEWHERE』作品情報 | cinemacafe.net

MOVIX宇都宮にて。


グルグルと同じ場所を走る車や怠惰に日々を送る男性の日常。
そんな漫然と同じようなことを繰り返す様子が映し出される映像を10分ほど観て感じたのは「これはものすごく退屈な作品」だという印象でした。変わりばえのない毎日が映し出される映像を観てイライラしてしまったのですが、不意に「これは我々の日常そのものなんじゃないか」ということに気付いたのです。


少し話を変えますが、以前「なぜわたしは映画を観たりゲームをしたり本を読んだりしたいと思うのか?」と言うことを真剣に考えたことがあります。暇つぶしをしたいとか、気分転換したいという理由をあれこれ思いついたのですが、結局最後にたどり着いたのは「繰り返しから逃れたい」ということでした。放っておけば何も変わらずに繰り返されているようにしか見えない毎日に、何かスパイスのようにはたらくものが欲しくて映画やゲーム、本を求めているのです。


いまいるこの世界とは別の世界のお話。そういったものに触れることで退屈さから目をそむけてたいと思っているのです。


ただ、ここで誤解のないように書いておくべきなのは、「繰り返されること」自体は決して悪いことではないし、むしろそれは私自身が望んでいることだということです。不安定であることは将来に対する不安を招く、つまり未来に対する見通しを確立するためにわたしは安定した日常が繰り返されることを求めているのです。それが長期的に安定した毎日を送るために必要だというのは分かっていますが、その一方で、その繰り返しが退屈だというのも本当のことなのです。
安定した毎日を欲しながらもその安定に退屈しているという矛盾。我ながら本当にわがままだなと思います。


作品の話に戻りますが、主人公がフェラーリを乗り回す俳優であることをのぞけば、この作品が描くほぼすべてのシーンは本当にありふれた日常であふれています。朝起きてご飯を食べて、動き回ってご飯を食べて、帰ってきて寝る。その繰り返しの中に、少しずつ違う何かを挟むだけの毎日が淡々と過ぎていくのです。
小さなハプニングはあるけれど、安定した日常はまさに永遠に続くようにすら思える繰り返される毎日として描かれています。


そう受け止めれば、この作品の単調さをつまらないと感じることは何ら不思議なことではないのですが、本作のすばらしい点はそんな日常の中に、ふっと生まれる特別な一瞬をものの見事に切り取って見せた点にあります。その時は「楽しいな」とか「いい時間を過ごせたな」くらいにしか思っていないのかも知れませんが、例えば死ぬ瞬間に最初に思い浮かべるのはこの一瞬ではないかというほど、記憶の中にしっかりと埋め込まれる瞬間を見せてくれたのです。


さっき「永遠に続くようにすら思える繰り返される毎日」と表現しましたが、どんなに単調な毎日でも当然それは永遠ではありません。
「形あるものはいつか壊れる」という言葉のとおり、生を受けた誰もが死からは逃れられません。永遠ではないのです。
でも、もし永遠に残るものが何かあるとすれば、こんなふうに記憶の中に残ったすばらしい忘れがたい一瞬なんじゃないかとわたしは思うし、そう思わずにはいられないほどのインパクトをこの作品から受けました。


すごく大好きな作品。大傑作!!


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