裾野を広げるために物語の力を使うということ


今日は8回目の東京マラソンでした。


残念ながらわたしは抽選からもれてしまったために参加はできませんでしたが、テレビで中継があったのでトップランナーのゴールまでを観戦していました。2時間5分台を出した選手が2人、日本人選手も2時間8分台を出した選手が2名、2時間10分以内がさらに3名とたいへんハイスピードなレースでして、観ているだけでもとても苦しくなりました。

アフリカ勢は「速いというよりも強い」という印象を残す選手が多くて、レース全体がその強さで引きずり回されたような印象をうけました。


さて。

トップランナーのゴール後もテレビでは東京マラソンの中継が流れていたので付けて観ていたのですが、途中から参加者の感動秘話みたいなエピソードを流し始めました。今回出場する人たちの中から数名の一般人をピックアップして、その人たちが抱えている大変な状況や大会にかける想いを感動的な話として紹介していたのですが、こういう耳触りの良いいい話が苦手なわたしにはちょっと耐えがたい内容でして渋い顔をしながら観ていました。


走ることといい話をくっつける。


ただ東京マラソンの様子を報じて、ときおり芸能人や有名人の状況を流していればよかったのになぜ一般人のいい話を引っ張り出してくるのか?その理由について考えていたら、先日の「全聾の作曲家として売り出していた佐村河内さんが実は全聾じゃなく、さらに別の人が作曲していた」という話を思い出しました。

あとは食材偽装の件もそうです。


どちらの事件も、中身そのものの良し悪しよりもそれを取り巻くパッケージを魅力的に変える方がモノは売れるということを改めて世に知らしめたという点では共通しています。「全聾の作曲家が曲を書いている」もしくは「おいしいと評判の食材を使っている」という物語に惹かれて多くの人は喜んでお金を払ったわけです。

当然これは詐欺であってよくないことなのでばれて怒られたわけですが、食材偽装はともかくさむらごっちさん(なぜか変換できない)の件は曲自体の良し悪しには影響がないんだからそこまで怒らなくていいんじゃないでしょうか。物語で彩っていたとは言え、楽曲がよかったということには誰も異論はないですよね?

佐村河内さんの作品*1はゲームの鬼武者、そして「桜、ふたたびの加奈子」の音楽だけ聴いたことがありますが、どちらもすごい楽曲です。誰が作った曲か?なんてことは知りませんでしたが、その場の空気を一瞬で変えるほどの破壊力があって度肝を抜かれました。物語があっても無くても作品の良さには影響はありません。


もちろん、上で挙げた「走ることといい話をくっつける」件をこの一連の詐欺事件と同一視しているわけではありません。
ただ、「あることをより多くの人に興味をもってもらおうと思ったときには「いい話」という物語を使うことが有効」だということを理解しているんだなということを知っててやっているんだなということを感じたというだけです。


走ることが好きでフルマラソンに出ている人には、こんな物語は必要ありません。
放っておいても走るし、当然東京マラソンにだって出てみたいと思います。

でも、まだ走ることに興味がまったくない人に「東京マラソンに出てみたい」と思ってもらうためには、こういった物語がとても有効にはたらきます。自分もそういったことを抱えて生きている、自分も完走してプロポーズしたい、自分も...。

最近はランナーが増えてきていると言われますが、まだまだ走っていない人の方が圧倒的に多いわけですからそういった走ることにまったく興味のない人をランナーの世界に誘惑できれば、東京マラソンの人気はより確固たるものになります。どこまで考えているのかはわかりませんが、より多くの人に興味をもってもらおうという意図だったのだろうと思ってからはそんなに腹立たしくは感じなくなりました。


でもまあやはり感動秘話はどうでもいいというかやっぱり好きじゃないのでテレビは途中で消しちゃいました。
そして東京マラソンを観ていたらすごく走りたくなってきたので、夕方から佐野に出かけて走ってきました。そして走っていたら早くフルマラソンに挑戦したくなりました。次のフルマラソンである「かすみがうらマラソン」が楽しみです。

早く大会で走りたい!

*1:ご本人は作っていないようですが