「ゲノムハザード ある天才科学者の5日間」見たよ


ある日、石神武人は自宅で殺されている妻を発見する。呆然とする彼に1本の電話が鳴る。受話器の向こうから聞こえてきたのは、傍らで冷たくなっている妻の声だった。この日から別の記憶が混在するようになった彼が、辿り着いた事実、本当の自分は“韓国人科学者オ・ジヌ”だった。彼の記憶は何者かによって“上書き”されていたのだ。彼を追う警察を名乗る男たち、正体不明の女記者、そして“妻”を装う女。すべての記憶が消えるまで、タイムリミットはあと5日…。

『ゲノムハザード ある天才科学者の5日間』作品情報 | cinemacafe.net

TOHOシネマズ宇都宮で観てきました。


ふだんは自分が体験したことを記憶するということは、あまりに当たり前すぎてそうしていることを意識すらしたことがありません。
自分が身をもって得た経験を記憶というストレージにためこむことは空気を吸ったら吐くということなみに当然の行為であって、いちいち考えて行動を起こすようなことではないと思っていたし、それにどういった意味があるのかということさえ考えたことがありませんでした。


記憶はなんのためにあるのか?

そんな疑問を抱いたわたしは以前あれこれ考えてみたのですが、ずっと考えて出した答えは「記憶というのは昨日の自分と今日の自分を結びつける接着剤」だということでした。昨日の自分と今日の自分が同一であると証明できるのは自分とそして関わり合いのある人たちの記憶があるからであって、もしそれがなければ日常を継続することすら困難になることはちょっと想像すればわかります。

結局、社会が継続して成立し続けるためにはその社会を形成する人たちの記憶がある程度の確かさで保たれることが前提となっているわけです。記憶が毎日リセットされる社会を想像してみるとそのめんどくささにうんざりするし、そうやって考えると記憶というとても頼りないものに依存して成立しているいまの日常がとたんに不安定で心細いものに感じられます。

そんなふうに考えるようになってから記憶というものにはすごく興味をもっているし、それを題材にした映画もすごく好きで見ています。この手の作品だと「ガチ☆ボーイ」や「バイロケーション」なんかはとてもおもしろかったです。


ちなみにこの映画も記憶を題材にしていますがまったくおもしろくなくて、最初から最後までぜんぜん楽しめませんでした。
記憶が消える・変わるというテーマはすごくおもしろそうだったのに....。

話の展開がいまいち分かりにくいのは謎が謎を呼ぶサスペンスである以上しょうがないとしても、唐突に物語をドライブさせたモノのそこから先の説明も要領を得ず、さらに見せ場もないというまったくいいところのない出来ばえでした。話が分からないわけではないのですが、なんかこう記憶が消えていくことへの恐怖を感じることがなければ、サスペンスなのに結末を知りたいと思える内容にもなっていなくて終始グダグダだったんでしょね。


ゆいいつのみどころは西島さんの信じられないくらいハイレベルな肉体美でして、怪我をした西島さんが自分で治療をするという本当にささやかなシーンが西島さんの肉体美の迫力で一気に忘れがたい印象的なシーンに早変わり!ちょっとやそっとの鍛え方ではぜったいに手に入らないものすごい肉体でした。

すごい...。


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