書けば書くほど寂しいという気持ちはなにから生まれるのかということについて

先日、お昼休みにご飯をもぐもぐと食べていたらおもしろいエントリーを見つけました。

書けば書くほど寂しくなっていく

それは自分の弱さを確認しているからかもしれない。臆病な怖がりな自分を。

http://d.hatena.ne.jp/komoko-i/20120220/p1

id:komoko-iさんとは「寂しいと感じる理由」は違うかも知れませんが、でも「書けば書くほど寂しくなる」ということについては実感込みですごく同意します。わたしもかれこれ4年くらい毎日ブログを書いているのですが、毎日書きたいことがたくさんあってそれを書きたくてしょうがないと思いながら書くのですが、一方では書けば書くほど広くて何もない場所にひとり取り残されているようなそんな気持ちになってしまいます。


id:komoko-iさんがしっかりと自分の言葉で語られていることに感化されたので、わたしもその理由についていろいろと考えてみました。


昔、なにかの本で読んだのか映画で観たのか忘れましたが、生まれつき目の見えない人ばかりが住む村の話を聞いたことがあります。

その村ではみんな目が見えないので、視覚からの情報がないことが当たり前でしたし、だから誰もそれを嘆く人はいなかったそうです。

ところがある日。その村に目の見える人がやってくるのですが、その人は目の見えない人たちに視覚から得た情報を教えてしまうのです。目の見えない人たちはたいへん驚き、自分たちの知らなかった世界があったことを知るのです。
↑これがなにで出てきた話なのかご存知の方がいれば教えてください


一般的に、知らなかったことを知ることはいいことだと言われていますが、では上記のような目が見えない人たちが目の見える世界を知ることは果たして幸せだったのかどうか?と考えるとわたしは決していいことではなかったと感じたのです。


ブログを書くことに話を戻しますが、ブログを書き続けることで自ずと情報をインプットする量や機会は増えます。たくさん運動する人はたくさん食べるのと同じで、アウトプットを増やすことでインプットする量も自然と増えるのです。
気が付いたらわたしもいままで興味のなかった世界の地理や歴史、犯罪や哲学といったジャンルや話にも興味をもつようになったのですが、そんなふうにいろいろなことに興味をもてばもつほど自分が知っていることや関わることができることがどれだけわずかであるのかを思い知らされるのです。


さらにブログを書き続けるといろんな人と知り合えます。

同じ趣味をもつ人や似たような境遇にある人や同じような仕事をしている人、そして物理的に近くに住む人など日常ではきっかけがなくて出会えないような人とたくさん知りあうことができます。さらに、その人たちとは機会があれば実際に会ってみて長く付き合っていけるようなそんな友だちも増えました。


でもこんなふうに実際に会えたり仲良くなれる人というのは本当にわずかで、実際には気付いたらつながりがなくなっているような人ばかりなんです。


このようにブログを書き続けることで自分の知識を増やしたり、知己を得ることができたのですが、そうやっていろんな情報や人と関わり続けてみると、実は自分の知ることができる情報や関わることができる人がいかに少ないのかということを思い知らされるようになったのです。


言い換えれば、世の中にどれだけ自分と無関係なものがあるのかということを意識してしまうようになったんですよね。


取り巻くものの数が多過ぎるがゆえに寂しくなるという感情。

一見矛盾しているように見えるかも知れませんが、たとえばわたしは人ごみにひとりでまぎれた時に「こんなに人の往来が多いのにこの中に自分のことを知っている人は誰もいないんだ」と思ったときにふとそんな感情がわいてくることがあります。


たまにそういう寂しさを心地よく感じるときもありますが、でもそれが続くとやはりどこか辛くて、それは書けば書くだけ続いていくわけです。


ここまで考えてみて、書けば書くほど寂しいというのは「自分の認知できる世界と実際に関わることのできる世界の差」が大き過ぎるが故にわき上がってきた感情だというのがわかりました。そして書かなければこれ以上は寂しくならないというのもわかりました。


でもいまはまだその寂しさよりも書く楽しさの方が勝っているので止められないなというのが率直な気持ちなんですよね。もう全然止められない。

そんなわけなので、寂しいけれどいつかそのバランスが崩れて書くことを止めたくなるときまでは自分のために書き続けたいなと思います。