アメリカ・ユタ州のブルージョン・キャニオン。大自然を巡る登山家アーロン・ラルストン(ジェームズ・フランコ)は、ロッククライミング中に、落石事故に見舞われ、右腕が断崖に挟まれたまま、一切身動きがとれない状態に陥ってしまう。誰もいない荒野で、ひとり取り残されたアーロン。心身ともに、限界を迎えた127時間後、彼は遂にある決断を下す――。『スラムドッグ$ミリオネア』でアカデミー賞8部門に輝いたダニー・ボイルが監督を務める。
『127時間』作品情報 | cinemacafe.net
TOHOシネマズ宇都宮にて。
わたしが過ごしてきた33年間の人生を振り返ってみたときに、思い出すのも恥ずかしいくらいおもいあがっていた時期があったことを思い出します。たとえば中学生になったときに「おれはもう子どもじゃないんだ」というどこをどう考えればそういう結論にたどり着くのかさっぱり理解のできない自信をもっていたこととか、仕送りなしでは生きていけない大学生が「おれはひとりでもやっていけるんだ」とこれまた根拠レスな思い上がりを身に付けていたのです。
さらに最近になると仕事に慣れはじめたときなんかも「おれは超頑張ってるんだ」と吹き上がってたときがありまして、ホントにもう思い出すだけで恥ずかしいというか、いま目の前に出てきたら右手で全力でぶん殴りたくなるくらいむかついてしまいそうです。
最低だよね、おれ。
そこでちょっと思ったのですが、実はそういう時期があるのはわたしに限ったことではなく、程度の差こそあれきっと誰もがとおる登竜門なんじゃないかなと。つまり、気付いていないだけで多くの人が同じような経験をしていて、例えば新しい環境へ飛び込んだ直後はついつい自分のことを過大評価してしまいがちで、思い上がってしまうことは結構よくあることなんじゃないかなと思うわけです。
というか、そうでも思ってないとやってられないくらい自分の過去が恥ずかしいというのが本当のところでして、お願いだからそう思わせてください。
さて。本作「127時間」は思い上がっていた主人公アーロンが自分と向き合う物語でして、何だか自分が怒られているような気分で鑑賞しました。賛否はあるでしょうが、生は与えられるモノではなく掴み取るものだと実感できるすばらしい作品でした。すごく好き。
冒頭から腕を挟まれるところまでのアップテンポでノリのいい楽曲で楽しく進む様子は、まさに自分のやりたいことだけをやって過ごせる彼の思い上がった態度を表しているように感じました。これを思い上がると表現するのがもし不適切であれば、調子にのっているという言葉に言い換えてもいいと思いますが、つまりこれから先の事に想いを馳せたり他人のことに興味をもたなくて生きていけるという恵まれた状態なんですよね。
人間うまくいってるときは他人の助けなんて必要ないと思いがちですが、実のところそれは勘違いでしかなく、周囲の誰かに助けられたり支えられていまのその生活が成り立っているのです。そして、そのことに気づくのはうまくいかなくなったときでありそして他人の助けが必要になったときなのです。
理想をいえばずっと調子よく走り続けられたらよいのでしょうが、実際にそんないいことばかりではないというのは誰もが知っているとおりですし、むしろペースを崩したときにどう立て直すのかということこそ、生きる上で大事なんだろうなと思ったのでした。
何だか説教くさいことを書いてしまって、むしろ一番調子にのってるのはいまの俺なんじゃないかとまたもや赤面してしまいそうですが、でもそんなことを説教くさくなく伝えてくれた本作はほんとうによい作品だったと思います。
上半期ベストに選んでいる方もかなり多い傑作ですので、未見の方はぜひ!
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