12年前、教職にあった波多野(仲村トオル)は教え子との結婚をスキャンダルとして扱われ、学園を追放され、若き妻とも離婚に追い込まれる。いまは故郷で塾の講師をして暮らす波多野だったが、失踪した塾の教え子の捜索のため再び東京へ。そこで、この事件の裏に、かつて自分を学園から追放した男たちが絡んでいることに気づく。捜査を進めるうちに波多野は、かつての妻・雅子(小西真奈美)と12年ぶりに再会する…。志水辰夫による傑作ミステリーを阪本順治監督が映画化。
『行きずりの街』作品情報 | cinemacafe.net
宇都宮ヒカリ座にて。
原作未読ですが、原作のよさは感じさせつつもそれをうまく作品の面白さに転化しきれていない残念な印象を残す作品でした。
本作はミステリーではよく使われる「ストーリーの点だけを散りばめておいて最後のそれらの線をつなげて一気に物語を構築する」という構成で描かれていましたが、この構成は「点だけを配置しておくことで明らかになっていない部分に対する事実に対する興味をひく」という効果を生みやすいというメリットがあるはずですが、この作品においてはその点となるエピソードが「読み手の興味をひく」という効果を得るだけの魅力を生み出せていないと感じました。
原作は未読なので正確なことは何も言えませんが、ミステリー大賞を受賞作品だという事実を受け止めれば、原作においては個々のエピソードが十分な求心力をもっていたことは容易に想像できるし、それを可能にしたのは言葉を重ねて生みだされる演出がよかったからだと推測できます。少なくとも映像による演出よりは文字による演出の方が向いているということになります。
原作の流れはあえて汲み取らず、映像表現に特化した構成に練り直せばよかったんじゃないかなというのが率直な感想でした。
正直この構成だとあまり面白いとは思えませんでしたが、ストーリーの構成を変えて見せれば結構面白いんじゃないか思うんですけどねー*1。
さて。
突然ですが、わたしは生まれてからの18年間を秋田で過ごし、そしてその後大学と大学院の6年間を山形で過ごしました。さらにその後、就職のために宇都宮に住み始めたのが2002年ですから今年でもう9年目になるのですが、この経歴からも分かるとおり、生まれてからの32年間を田舎を転々と渡り歩いて生き抜いてきた、いわば地方生活のプロフェッショナルなのです。大学に入って以降は田舎というほど田舎ではないものの、都市圏とは程遠い場所で生活してきました。
そんなわたしがこの作品を観て感じたのは「田舎育ちの人間から見た東京と言う場所の怖さ」みたいなのが作品にこめられているように感じました。
昔、「木綿のハンカチーフ」という歌が流行ったことがありまして、30代前半のわたしはリアルタイムで聴いたわけではありませんが(そもそも生まれてもいない)、この曲を初めて耳にしたときにその歌詞のあまりの悲しさに号泣したことをよく覚えています。
かなり有名な曲ですので歌詞をご存知の方も多いと思いますが、田舎を離れて都会で生活をするようになった恋人が、日を追うごとにどんどん違う人に変わっていって最後は別れを告げるという歌です。
この歌詞の悲しさは尋常ではないほどにわたしの恐怖心をあおりました。
みんな東京に行くとみんなこんなふうに変わっちゃうの?と。
東京に出て行った人が変わってしまう、ということももちろん悲しかったけど、何よりも変わっていくことに彼自身がとても無頓着なのがとにかく怖かったんですよ。
「染まらないで帰ってきて」と願う彼女の言葉などすっかり忘れ、「この指輪、東京で流行ってんだよ」と無神経に指輪を送りつけたり、最後にはもう戻れないと言い切るまでに心変わりしてしまうというのはもはやホラーの域に達していました。
わたしが都市圏の大学に進学したり、東京で就職をしなかった理由の45%くらいはこの歌が理由だといまでも思っています。
別に地元にわたしを待っている人がいたわけではありませんが、今の自分が想像できないくらいに変わってしまうかもしれないというのが怖かったんだと思います。
この作品には「東京は怖いところ」と信じていた当時の私が思い描いていた東京の姿が映し出されていました。
地方から出てきた人たちがどんどん飲み込まれていき、そして飲み込まれた人たちはどんどんとその姿を変えていくようなそんな印象を抱いていた東京と言う場所の怖さが、すごく伝わってくる作品でした。
全体的にはぼんやりとした話だったけど、好きか嫌いかでいえば結構好きな作品。
公式サイトはこちら
*1:というと、さりげなく作品批判になっているような気がするけど