秋田の自殺 なぜ減った

12年連続で自殺率が最も高かった秋田県でいま、全国トップレベルの勢いで自殺件数が減っている。借金苦が原因で命が失われることがないように県内で活動をしているグループの効果ともいわれる。その取り組みとは。

http://www.asahi.com/national/update/0425/TKY200804250315.html

秋田県の自殺率が異常に高いというのはちょうど一年位前に書いたことがあるのですが、それが改善されているというのが今回のasahi.comの記事です(以前書いた記事はこちら)。


自殺率の高い原因として経済的要因がよく挙げられますが、たしかにそのとおりだと思います。
東北(青森県以外)の県庁所在地にはよく行くのですが、その中でも秋田の寂れ方は突出していると感じます。同規模の山形市/盛岡市と比べたらその差は一目瞭然です。まして、中心部がこのざまだともっと地方へ行けばどんな状況なのかというのは想像に難くありません。


私の実家のある秋田県男鹿市という場所も例にもれず、芳しくない状況のようです。



何度か秋田に戻ろうかと思ったこともあり、働き口がないかどうかいろいろと調べてみたのですが、普通に調べて見る限りは仕事など全く見つかりませんでした。ほとんどが非正規雇用の作業員の仕事ばかりで、とても家族を養うだけの収入など得られません。
聞けば、一般公募の仕事はなかなかなく、人づてに仕事を紹介してもらわないとよい仕事というのは見つかりにくいと教えてもらいました。中/大規模の都市よりも人間関係という要素が非常に重要になってくるのです。


そんなわけで、はてブのコメントにもちょっと書いたけど、秋田県の短/長所は人間関係の濃さにあると思います。もちろんそれはある程度の田舎であればどこも同じでしょうが、その機能不全が自殺率の増加の一端を担っているのではないかと思うのです。


ここでちょっと立ち戻って、人間関係が濃く形成されるケースについて考えて見ます。
人間関係を濃く形成するメリットとしては、困った時に助け合えるとか不穏分子の侵入を防ぐとかそういうことが挙げられます。
逆に濃くなった時のデメリットとしては人間関係を濃く築けない場合や異分子と判断された時の村八分感というのでしょうか。そういった四面楚歌な状態というのはなかなか辛いものがあると思います。
また、一度この濃い人間関係の中に組み込まれてしまうと、その人間関係に依存してしまいがちです。一度、集団で形成された空気に馴染んでしまうとそこから離れることに抵抗を感じるようになります。そうする事で抜けたくても抜け出しにくい空気が醸成されていきます*1


ひとつ考えたのは、秋田でもこの濃い人間関係が徐々に必要とされなくなってきていたのではないかということです。つまり疎なコミュニケーションを望む人が増えてきたために、濃い人間関係の形成要員が減ってしまい、そのコミュニティの維持が出来なくなったというのが私の仮定です。


ただし、この事自体は秋田に限った話ではありませんので自殺率が高い事とは結びつかないように思えます。


そこでもう一つの要因として思いつくのが高齢化というキーワードです。
濃厚な人間関係を望む*2高齢者が多く居ることと、その希望を満たせるコミュニティが形成出来ない事で感じる絶望感。それこそが自殺率の高さに繋がっているのだと考えるのです。


最後はまとめるのが面倒ではしょってしまいましたが、こういった人間関係の薄さに起因して自殺が増えているのであれば、今回のように助け合えるコミュニティが出来ることで救える命もあると思います。
こういう試みが少しずつ増えてくれれば、秋田は今よりももっと素晴らしい県になるだろうと思いますし、そうなってくれる事を願っています。


[追記]
こんな記事を見つけました。

http://www.kaso-net.or.jp/map/akita.htm


男鹿市は過疎市町村か...。そりゃそうだよなあ。

*1:これは日本人が帰属意識が強過ぎるためだと思っていますが、あまり深く考えた事がないのでひとまず仮説程度で

*2:自力で全てをするのが困難なので互いに助け合いたいと考えているのではないかという点に着目しました