4分間のピアニスト


ピアノ教師として刑務所にやって来たクリューガー(モニカ・ブライブトロイ)は、問題児の少女・ジェニー(ハンナー・ヘルツシュプルング)が机を鍵盤代わりにして無心に指を動かす姿を見つけ、彼女の類まれなる才能を見抜く。愛に裏切られ続けたせいで全てのものに牙をむき、自分をも傷つけるジェニーを見て、彼女の才能を花開かせることこそが自分の使命だと感じたクリューガーは、所長を説得してピアノのレッスンを始める。同じ孤独を抱える2人はやがて心通わせるようになるが、卑劣な陰謀が2人を苦しめる。コンテスト決勝を数日後に控え、ジェニーは暴力事件を起こしてしまい、ピアノを禁止されてしまい、そしてクリューガーまでも解雇されてしまう…。

『4分間のピアニスト』作品情報 | cinemacafe.net

MOVIX宇都宮にて。
ピアノに関して非凡な才能をもった服役囚のジェニーの物語。この作品の持つ強烈な魅力に心をわしづかみにされました。
と言ってもシンプルな感動モノではなく、ジェニーやクリューガーが心のうちに秘めた葛藤や不安がとても生々しく、痛々しく、そして息苦しい、非常に重苦しい作品であり、そのストレスが見ている側を作品に引き込んでくれるのです。
特にラストの曲を弾ききった後のジェニーの表情、行動が忘れられないくらい強く印象付けられました。すごい作品です。


ひとつ気になったのが、途中かなりの頻度で流れているシューベルト即興曲(作品142)。普段はクラシックは全く聴かないのですが、この曲は映画「神童」のサントラにも入っていたので、すごく耳に残っていました。


「神童」オリジナル・サウンドトラック

「神童」オリジナル・サウンドトラック


作中ではくどいくらい流れ続けるのですが、呆れるくらいいい曲なので全然飽きません。今も気付くと鼻歌を歌ってしまうくらいのお気に入りです。


ドイツ映画と言えば昨年見た「善き人のためのソナタ」を思い出すのですが、どちらも重厚な空気で見る人をその世界に引き込む力を感じました。ドイツ映画は私のツボかも知れません。


以下ネタバレありなので、見ようと思っている方は見ないでください。


この作品を見終わってふと思い出されたのは、ちょうど今読んでいる本で見かけたある一文でした。


御社の「売り」を小学5年生に15秒で説明できますか? (祥伝社新書 99)

御社の「売り」を小学5年生に15秒で説明できますか? (祥伝社新書 99)


「伝わるメッセージとは自分そのもののメッセージ」というセンテンスで、著者は画家の熊谷守一の言葉を紹介しながらこう述べています。

「絵でも字でも巧くかこうなんてとんでもないことだ。結局絵などは、自分を出して、自分を生かすことだと思います」(『へたも絵のうち』)


熊谷の言葉を借りるまでもなく、最高のお手本は、自分の中にあるということを覚えておいてください。

99ページ

クリューガーはジェニーが好きで弾いていた楽曲を「低俗」の一言で一蹴していたのですが、結局、最後に観衆の耳に届き、その観衆たちにそしてジェニーの才能を知らしめたのはその低俗と呼んだ音楽だったのです。ジェニーに与えられた最初で最後の自己表現の場。そこで彼女はなぜ今まで練習を重ねてきた曲ではなく低俗とまで揶揄された曲を弾いたのか。それは、ジェニーが心のうちに持っていたメッセージを伝えられる「自分」というものがその曲だったのでは無いかと思うのです。


例え稚拙でも自分の言葉で語らないと何も伝わらない。だから体裁だけ整えたり、表面だけ取り繕って誤魔化してもしょうがないってことなんですよね。


例えばプログラミング。
サンプル丸写ししか出来ない人は決して本当に書きたいものは書けません。サンプルはそれを作った人の頭の中をコードに落としたものであり、それ以外の人にとっては単なるコードの断片に過ぎません。その中身を理解し、自らの血肉にしてこそ初めて自分の作りたいものの一部として使えるのであって、拾い集めたサンプルの継ぎ接ぎだけでは絶対にプログラムは動かないのです。


しょうもない事を書いて笑われてもいいし、間違ってもいいから、自分の言葉でいろんな事を発言したいと感じました。


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